模型が好きなひとなら、もっといいものをうまく作りたいと望み、ピアノを弾くひとなら、もっと難しい曲を思うまま弾けるようになりたいと願うだろう。5段の跳び箱が跳べるようになりたいのに、まだ4段しか跳べなかったら、物足りないと思うはずだ。
まだ思うレベルには達していないという気持ちがひとを駆り立てる。その気持ちが、挑むひとのテンションを高め、工作でも演奏でも運動でも、勉強でも仕事でも、出来具合のレベルを向上させていってくれる。できたらいいなと思うのにできなかったら、それはもどかしいし、そういう状態が続くと、ある種ストレスフルだ。
やる気を説明するキーワードをひとつだけあげるように言われれば、わたしは躊躇なくテンション(緊張)という言葉をあげたい。ひとは、緊張するから動くのだ。もちろん、挑むつもりのひとが立ちすくむほどテンションが高すぎれば、動きはとまってしまうので、度の過ぎた緊張はがんばるひとに悪さもする。同様に、ストレスにも善玉と悪玉がいる。ハンス・セリエは、ひとに張りを与える良性のストレスを、ユーストレス(eustress)、ひとを麻痺させ果ては死にまで至らせることのある悪性ストレスをディストレス(distress)と呼んだ。金属には張りがあって、たわみを元に戻そうとする。そんな力がひとを動かす。圧力をかけすぎると、金属でも折れる。そこまで極限に達しない限り、ひとは、はらはら、どきどきしながら緊張のもとでこそ、がんばれるのだ。
K.レビンという心理学者は、やる気のある人物を、緊張下のシステム(system-in-tension)という言葉で形容した。張りがないとひとは動かない。今のままでは、だめだ、なにかがまだ欠けている、足りないという気持ちがひとを向上させる。だから、過度でない限り、テンションもストレスもいいものだ(ただし、勉強しながら、ストレスが高すぎると思ったら、休んで旅に出たほうがいい――この過度、ぎりぎりというさじ加減が若いときには難しい)。
米国のアイオワ大学、コーネル大学、MITで名をはせたレビンは、ナチスの時代に米国に亡命する前は、ベルリンで研究をしていた。そのころの研究テーマのひとつに、「未達の課題(unaccomplished
task)」がある。
まず、身近な例として、大切なはがきを通学途上に郵便ボックスに投函するつもりで、それをポケットにいれて家を出たとしよう。晴れた気持ちのよい秋の日に、駅まで歩く間に、いったんはがきのことは忘れて、秋晴れのなか散歩気分になっていたとしよう。ところが、郵便ボックスが目に入ると、「あ、なんか忘れている」とはっとして、ポケットのはがきに手がむかう。この動きを司るのが、「未達の課題」だ。この通学者は、郵便ボックスにはがきを出すつもりで(つまり、そういう「課題」をもって)家を出たのに、まだ、それをボックスに入れていなかった(「課題が未達」だった)。だから、はっと緊張して、手がポケットに向かった。
もし、はがきを出すつもりの日でなかったら、郵便ボックスを見ても、なんとも思わないだろう。散歩気分のままでいい。リラックスもできる。しかし、未達の課題がそれに絡んでいると、郵便ボックスの存在が、そのひとにテンションを起こし、課題の達成にむけて動機づけてくれるというわけだ。それを投函すると、安心する(つまり、緊張は一気に低減される)。
はがきの投函は、課題としては、ささやかすぎるかもしれない。仕事の世界を例にあげよう。あるエンジニアにとって、打ち込む対象は、製品開発かもしれない。いい製品が開発されたらほっとするが、思うようなものができないときもある。がっかりすればエネルギーにつながらないが、緊張感を持てば新たな動きにつながる。そして、さらにハイ・レベルな製品が開発される。未達の課題が達成されたら、緊張がなくなるので、満足したらそこで終わりだと心配することはない。ひとは、無限の可能性に挑戦していく。さらに、よりレベルの高い開発が目標となれば、再び未達の課題に直面する。このようにどこまでやれば満足かというレベルのことを、K.レビンは、要求水準(aspiration
level)と呼んだ。これは、達成を重ねることと時間の関数で高まっていくものだ。今までできなかったことができるようになったときには、しばらくするうちに、要求水準そのものがあがっているのに気づく。
とうとう5段の跳び箱が跳べるようになったら、つぎは、6段だと思う。6段が新たな要求水準となるわけだ。課題が、跳び箱でなく、そのひとが長い人生の間に打ち込みたいという課題なら、いかがか。いくつになっても一皮むけるような挑戦を続け、より高みをめざすひとは、未達の課題への直面→緊張による動き→緊張緩和によるリラックス→要求水準の上昇→つぎなるレベルの未達の課題へのさらなる挑戦という連鎖を知っている。永劫回帰のようなサイクルだ。
だから、この世を去るときには、だれも、どこかに未達の課題を抱えている。しかし、それまでに達成したものを並べると、その軌跡がそのひとのがんばりを示していることになる。
受験勉強はときに、くだらないと思うことがあるだろう。しかし、その勉強の背後に、仕事の世界、自分らしく生きること、自己実現への道が垣間見られるなら、いい意味で、緊張→動きという勢いが意味ある形で、サイクル状に始動しつつあると信じて、自分の緊張感を愛でよう。 |  |
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【プロフィール】
かない・としひろ●
神戸大学大学院経営学研究科教授*1954年、神戸生まれ。京都大学教育学部卒業、同大学院経営学研究科修士課程修了。MIT(マサチューセッツ工科大学)Ph.D.(経営学)、神戸大学博士(経営学)。94年より現職*リーダーシップ、ネットワーキング、モチベーション、キャリアなど経営学の中でも人の問題に関わるトピックを主に研究*主著に『ニューウェーブ・マネジメント』(創元社)
『働くひとのためのキャリア・デザイン』(PHP新書)『仕事で「一皮むける」』(光文社新書)『はげましの経営学』(宝島社)ほか多数。
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