私が勤務するクリニックには高校生もときどき来る。親の年齢は私と同じくらいだったり年下だったりするのだから、すでに"親の気持ち"のほうがよくわかってもよいはずだ。しかし、若い彼らの語る悩みを聞いていると、すぐにこちらも自分が若かったときの気持ちを鮮明に思い出し、「わかる、わかる」とうなずきたくなってしまう。
とはいえ、私が高校生だった頃とは違い、今の高校生たちは親や教師とも臆せずによく話すようだ。いわゆる"カミナリ親父""オニ先生"的な大人が少なくなり、「ねぇ、ちょっと」と気軽に話しかけやすくなっているのだろう。それはとてもいいことだと思う。ただ、「親がコワイから大学にだけは行く」「テストで赤点取ると先生に怒鳴られるから勉強しておく」といった外圧から解放された子どもたちは、流行りことばではないが「自己責任」のもと、勉強する意味を見つけ、進路を決めなければならない。何も考えずにとにかく前を見て努力させられていた私たちの時代と、どちらが幸せなのか。考えてしまうことがある。
「高校をやめたい」と言って相談に来た高校生は、ちょっと話しただけで高い知力と思慮深さを持った子だということがわかった。「親や先生は自分で決めなさいと言うけれど、"じゃ、やめる"と言うと渋い顔をする。どっちが本当なのかわからないけれど、私のことなんかどうでもいいのかもしれない」とため息をついた。そして、「あなたはどうしてやめようと思うの?」ときく私に、「通う意味がないから」と答えた。
高校に通う意味。大学に行く意味。就職する意味。それらを突きつめれば、はっきりした答えなどない、ということになるだろう。多くの高校生は意味などよくわからないまま、「とりあえずそのほうがいいから」「そうしないとまわりの大人が怒るから」といった表面的な理由で先に進むのだ。若いときはそれでもかまわないと思う。「自分で意味を探して、そして自分ですべてを決めなさい」と高校生に迫るのは、酷な話だ。
自主性や自由を尊重するのはいい。しかし、肝心なところでは親や教師などの大人が、「私は、あなたにこうしてほしい」「あなたに合っている進路はこうだと確信している」と自分の意見をズバリ言ってあげる。「ダメな場合は、私が責任を持つから」くらいの覚悟でもって…。そういう"大人らしさ"が必要とされる場面も、あるのではないだろうか。
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| 【プロフィール】
かやま・りか● 精神科医・神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科助教授。1960年札幌市生まれ。東京医科大学卒。学生時代より雑誌等に寄稿。現在も臨床を行いながら新聞、雑誌で社会批評、書評なども手がけ、現代人の"心の病"について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。主著に『切ない…。』(青春出版社)、『「愛国」問答』(中公新書ラクレ)ほか多数。
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