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最前線!職業人インタビュー vol11
自分がデザインしたクルマを次々に送り出していきたい
トヨタ初の「大抜擢」デザイナー
ひろかわ・まなぶ1968年、静岡県生まれ。沼津工業高等専門学校卒業後、名古屋のデザイン専門学校で2年間学ぶ。トヨタ自動車にはデザイナーとして91年度に入社。「クラウン」や「センチュリー」などのデザイン開発に携わった後、98年に「カローラ・ランクス」のエクステリアデザイナー(※1)に抜擢され、1年後輩のデザイナーとともにベルギー現地法人のデザイン会社に出張派遣。1台すべてを若手2人に任せるのはトヨタ初の試み。片山修著『トヨタはいかにして「最強の車」をつくったのか』(小学館刊)でも紹介されている、同社の注目株デザイナーの1人。
(2004年3月22日掲載)
※インタビュー:2004年1月26日


―廣川さんは、30歳で「カローラ・ランクス」のデザイナーに抜擢され、ベルギーのデザイン子会社に出張派遣されたそうですが。



従来、当社では若手からベテランまでをそろえたチームを構成して、1台のデザインを担当開発していました。当時30歳の私と29歳の後輩という若手2人にデザインを任せるというのは、おそらくトヨタ始まって以来のことで、会社としても大きなチャレンジだったと思います。

―どういう背景があったのでしょうか。また、ご自身が抜擢された理由はどのように考えていますか。

背景としては、社長が奥田(※2)に代わったばかりのころで、「会社が変わらないのはダメなことだ、今までの常識を壊して新しいことをやろう」という大号令がかけられていました。デザイン部門もそういった雰囲気に変わっていましたね。

そんな中で自分が選ばれたのは、入社して7年目になり、部品を含めた各部分のデザインを一通りこなし、あるレベルに達していたことがあると思います。それと、人によるとどうやら自分は「もっと大きなことをやらせろ」とアピールしていたようなんです(笑)。それに上司が応えてくれたのだと思います。

―トヨタは実力主義で、じっとしていてはダメなんですね。

そうですね。奥田社長以降、若手にどんどんチャンスを与える傾向が強まっています。年齢や実績も関係なく、まったくの実力勝負ですね。任せるといったら、本当に任せてくれます。


―ベルギーではどういった仕事をされたのでしょうか。


「カローラ・ランクス」の開発には、「世界最高の2BOX(※3)を作ろう」という命題がありました。当時は2BOXという従来の枠組みで括りたくなくて、全くの新規車種のつもりで取り組んでいたのですが、ともかくこのタイプのメインの市場はヨーロッパです。ヨーロッパで勝てる車を作れば、世界中のどこに出しても勝てるだろう、ということで、ベルギーの現地法人のデザイン会社でデザイン作業をすることになりました。4カ月間で、アイデア出しから1分の1スケールのモデル作成までを行い、完成した2案のモデルを日本に空輸しました。

―日本でデザイン作業をするのとでは、やはり違うと。


これまでの日本車は、ヨーロッパの石造りの街中に置かれると、印象が弱いという欠点がありました。景色に負けてしまうんですね。ヨーロッパ製の車はどれも個性的で印象が強いのは、そういった景観の中で長年培われてきたものがあるからだと思います。よく例えで使われるのですが、日本の川魚の代表であるアユはスマートですらっとしていますが、西洋の川魚は頑丈でゴツゴツしている。彼らはそれが普通だと思っているわけです。彼らの文化には我々とは異なる感覚が無意識的に積み重なっていて、そうした文化を吸収しながらの作業には、大きな意味がありました。

ベルギーにはその年の12月末から滞在し、アパートを借りて自炊していました。朝の7時にまだ暗闇の中を出勤し、帰りは9時、10時の毎日です。週末は、1週間分の買い出しのほか、車や飛行機を利用して周辺のほとんどの国を回りました。自炊を含めた毎日の生活はある意味で大変でしたが、逆にヨーロッパの生活やその奥深さを知るきっかけにもなりました。

―どういったご苦労があったのでしょうか。

現地では、現地人のデザイナーとモデラー(※4)との4人での共同作業でした。私は、英会話は得意ではなかったのですが、デザイナーとはカタコトの英語でもなんとか通じて特に困りませんでしたね。デザイナー同士なのでわかり合えるんです。その一方、モデラーとのやりとりは微妙な造形のニュアンスがなかなか伝わらず大変でした。よく絵を描いて説明しましたね。

精神的なプレッシャーもありました。トヨタ初の試みという全社的な注目を集めたプロジェクトで恥をかくわけにはいかない、と。また、ここで成果を出せなかったら、やはり若手だけには任せられないということになって、次の世代の可能性を奪ってしまうことになると思いました。

そういった状況にあっても、そもそも「もっと面白いことをやらせろ」と思っていたこともあり、こんなチャンスは滅多にない、いいものを作って日本に持って帰ろう、と前向きにがんばれましたね。

―できあがった「カローラ・ランクス」のヨーロッパでの反響はいかがですか。

おかげさまで、同じくヨーロッパを意識した上級セダンの「アベンシス」と、小型車の「ヴィッツ」とともに売り上げを伸ばしており、トヨタのヨーロッパにおけるシェアは急成長しブランドイメージも高まっています。さらに、日本やそれ以外の地域でも高い評価を頂き、我々開発者の思いがユーザーの皆さんに伝わっている気がしてとてもうれしく思います。

―今後はどういった目標にチャレンジしていきたいと考えていますか。



「カローラ・ランクス」のあと、ある大型車のデザインチームに異動しました。「カローラ・ランクス」は我々のチームに全面的に任されたのですが、大型車のプロジェクトではデザイン案を社内で競い合ったのです。自分の作品が本社のデザインチーム案として採用されたのですが、途中で海外のデザインチーム案に敗れてしまいました(笑)。まだまだ力不足だということです。今後は、自分の案を最後まで通すことを目標にもっと精進していきたい。そして自分がデザインした車を次々に送り出していきたいと思っています。
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