最近、何人かの講師から耳にするのが、「最近の子は、自説を曲げないねえ」という意見である。なるほどその通りであるとうなずいてしまう。
「先生、この問題はこのように考えれば解けるんですよね」
なるほど、よく聞いてみると論理だけは合っているが実験不可能であったりする。
そこで、
「いや、それは生物学的にありえないでしょ」
と諭してみる。するとほとんどの場合、
「でも、論理は合っているから、点数もらえるんですよね」
もっと厄介な事例を挙げる。参考書や問題集の解説が私の教えた内容と食い違うときである。書籍というものは今も昔も権威であり、たとえそれが間違った内容であったとしても、受験生はその内容を鵜呑みにする。塾生が、
「先生、授業の内容が間違ってるよー」
鬼の首をとった顔で指摘してくる。
「どこが間違ってるの?」
と問いただすと、すかさず参考書を開けて、
「だって、参考書にはこう書いてあるもの」
よく見ると、参考書の内容が間違っている。ここからが一苦労である。
「参考書が間違ってるんだよ」
塾生はすかさず切り返してくる。
「えー、納得いかない」
こうなるともうお手上げで、私は証拠物件を探してこなくてはならない。証拠物件を提示するとこれはこれで厄介で、「この参考書、だめじゃん」と間違った箇所だけでなく、参考書すべてを全否定する。間違った箇所に問題があるのは事実であるが、塾生の「拠りどころ」を奪ったような気がして後味が悪い。
そう、子どもたちは、特に受験生は「拠りどころ」を求める。それは、学校の教師であったり、参考書であったりとさまざまであるが、その「拠りどころ」以外の価値観や考え方を受け入れる許容量が、年を経るごとに不足しているように感じられてならない。子どもたちは、大人からさまざまな価値観や考え方を受け継いで育つものであるが、最近は、大人に接する機会がどうやら不足しているようである。だから、子どもたちだけで成り立つ価値観のみが「拠りどころ」となり、問題を解く際に、自分の論理が成り立てば、たとえそれが学術的に成り立たないとしても、それで解決してしまう。
これは子どもたちにとって不幸なことである。受験に限らず、社会にでたとき、自分だけの論理が世間に通用するとは思えない。もっと柔軟に、大人からさまざまな価値観を吸収してほしいものである。それには、大人が若者に接する機会を増やす必要がある。変わらなくてはいけないのは私たち大人の方であるが、あまりにこの世の中、子どもも大人も忙しすぎるようである。
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【プロフィール】
いいだ・たかあき●
河合塾講師*1968年三重県に生まれる。広島大学教育学部(理科)卒業後、同大学院理学研究科博士課程に在籍中の1995年より、河合塾広島校で生物を担当。2000年より、東京地区へ移籍し、現在、東大オープンや全統マーク模試をはじめとする模擬試験やテキストの執筆を手がけ、東京と広島を毎週往復し、生物の講義を行う。人気、実力ともに高い評価を得ている名物講師*著書に「こだわって!国公立二次分野問題集(河合出版 小畑成美・前田真共著)」がある。 |
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