―佐々木さんは、93年にJリーグを誕生させた中心人物のお一人ですが、現在のお仕事内容からお聞かせください。
現在は、主にJリーグの事務局長という立場で仕事をしています。Jリーグには総務、広報、事業、運営、企画という5つのセクションがあって、それらのとりまとめが仕事ですね。普通の会社でいえば総務部長といった感じでしょうか。各セクションのマネージャーたちとプランを詰めて上申したり、決裁したり、といったことをしています。
―ところで、なぜプロサッカーリーグを作られたのでしょうか。
究極的には、日本サッカーを強くするためです。東京オリンピックの翌年に、企業チームからなる日本サッカーリーグ(JSL)ができました。オリンピックチームの強化のために、ドイツからクラマー氏というコーチを呼んでいましたが、彼は当時から強化のためにはプロリーグが必要だ、と主張していたんです。ところが、日本はオリンピック至上主義だから、プロ化は一切、省みられませんでした。それでもメキシコオリンピックで日本が銅メダルを取ったので、安心して強化を怠ってしまったんですね。また、企業スポーツだと、サッカーができなくなっても企業に戻ればいいという甘えもあるからか、選手が勝ち負けにはあまりこだわらないんです。結果、JSLは閑古鳥の鳴く試合ばかりとなっていました。一方、学校の体育にはサッカーが取り入れられ、アニメの『キャプテン翼』の人気もあって、高校サッカーが隆盛していたんです。正月の高校選手権はテレビ中継もされる。でも、高校から先は大学か、沈滞化しているJSLしかないわけで、それではワールドカップ(*1)出場なんて夢のまた夢だと。“高校サッカー燃え尽き症候群状態”となっていたんです。このままでは日本サッカーはだめになる、と非常に危機感を持ちましたね。私は当時、日産自動車の人事部に在籍していて、JSLの一員だったサッカー部の運営の仕事をもっぱらやっていました。この危機感を共有していた、他社で同じような仕事をしている仲間が集まっては、打開策を話し合っていたんです。それがプロリーグ作りの発火点でした。
―まず、何をされたのでしょうか。
観客動員を増やすために何とか注目してもらおうと、釜本さん(*2)のヌードポスターを作ったりしました。文字通り、一肌脱いでもらったんです(笑)。あと、ポラロイドカメラで選手と記念撮影をしたり、サインボールを観客席に投げ入れたりと、自分たちでいろんなことを考えてはやりましたね。その頃、ドイツのプロリーグで日本人初のプロ選手として活躍していた奥寺選手(*3)が帰国することになり、アマチュアに戻るのもどうか、ということで、プロとして迎え入れることになりました。オリンピックも、ロス大会あたりからプロ選手が出場できるようになりましたし。そうやって徐々に環境が整っていきましたね。
―Jリーグは昨年、開幕10周年を迎えました。誕生からの10年をざっと振り返っていただけますか。
10年間を観客動員の状況からおおまかに言うと、開幕2年目の94年、1試合平均で約2万人の観客を集めました。それがピークです。以降、次第に下降し、00年には1万1000人ほどにまで落ち込みました。そこから4年連続で巻き返し、04年はJ1(*4)で1万9000人、合計で730万人もの観客を集めました。
Jリーグがスタートした93年頃の日本のスポーツ界は、大相撲もありますが、やはりプロ野球が王様でした。しかし、74年に長嶋茂雄さんが引退してからというもの、スター選手が次第にいなくなって人気に翳りが差していたんですね。そんなところに新しいプロスポーツが誕生する、ということで大きな期待感や興味を持たれ、開幕の華々しさで人気が爆発しました。こんなに人気が出るとは正直、思いませんでしたね。一時のブームだから踊らされてはだめだとも思い、各クラブにも「じっくりやっていこう」と言っていました。しかし、サッカーの面白さや本質が十分理解されていないうちから、人気に乗じてチーム数を増やしすぎ、「どこを応援すればいいのかわからない」などと批判されるようになったのです。また、選手の移籍も多く、比較的選手の移籍の少ないプロ野球に親しんでいる人には、サッカー界の選手の移り変わりのスピード感に馴染めなかったと思います。それで観客動員数も落ち込んでいきました。ちょうどその頃、横浜フリューゲルスというチームが解散、横浜マリノスに吸収されました。バブル崩壊もあってスポンサー企業が支えきれなくなったんです。Jリーグ全体では、フリューゲルスのケースに学んで、一出資企業からの支援に頼った状況から脱し、経済状況が落ち込んでも経営できる体質改善に取り組んでいきました。94年頃には、プロ野球なみに選手の年俸が高騰し、年俸1億円以上のスター選手が何人もいましたが、いまでは1人いるかいないかじゃないですか。そういった身の丈経営を各クラブに腹くくってやってもらうよう要請しながらも、個人的にはプロスポーツがもたらす感動をどう維持するか、バランスが大事だと思って取り組んでいました。我慢の時だったと思います。
―それが、98年のワールドカップフランス大会に日本が初出場を果たす、という劇的なことが起きて、サッカー人気にまた火がつきましたね。
その前の94年アメリカ大会では、最終予選で「ドーハの悲劇」(*5)というのもありましたし、サッカーに注目してもらう機会には恵まれましたね。それと、ここ数年の人気上昇には、札幌や仙台など、地方チームの地域への浸透が着実に進んできているということが大きいと思います
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―特に、04年シーズンからJ1に昇格したアルビレックス新潟の盛り上がりは凄いですね。
新潟の03年度の観客動員数は、2部のJ2にあっても1試合平均3万人を超えました。J1、J2合わせてリーグトップ。2部のチームがこうした実績を残すのは世界でも例がありません。それまでプロ野球の試合も滅多に来ないような新潟に、ワールドカップ日韓大会開催決定を契機として、プロスポーツのチームができた。おらが街のチーム、ということで、全県民あげて応援してもらっているような勢いがあります。
―地域重視ということは、Jリーグの理念、活動方針の根幹にもありますね。
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Jリーグのクラブは、プロリーグの試合をしているだけではなく、活動の本拠地を「ホームタウン」と定めて、地域のスポーツ文化の振興を図る活動もしているんです。プロ野球の「フランチャイズ」という、球団の商業権益を保護する考え方とは一線を画しているわけです。Jリーグのクラブがコミュニティの核となる存在になれるよう、市民、行政、企業に三位一体となって支援してもらう。そして、クラブと地域社会が一体となって、スポーツが市民生活に溶け込み、市民が心身の健康と生活の楽しみを享受することができる街を目指す、ということです。これは僕は本当に素晴らしい理念だと思いますね。理念だけでなく、各クラブはサッカーだけにとどまらず、いろいろなスポーツに親しんでもらえるよう、スポーツ施設というハードや、コーチというソフトを積極的に提供して具現化しています。チームの名前に、スポンサー企業の社名ではなく、地域名をつけているのはそのためです。わかりやすく言えば、横浜マリノスというクラブには日産自動車がスポンサーについていますが、横浜市にはトヨタやホンダの方も住んでおられる。その方々は「日産マリノス」では応援しにくいでしょう(笑)。日産で観客動員数を上げようと活動していたとき、僕は実際にそんな壁にぶち当たっていました。だからこの理念の素晴らしさが実感できるんです。
―それでも、「事業に役立つスポーツは何か」という企業経営者へのアンケートで、Jリーグがプロ野球を抑えてトップに選ばれています(笑)。ところで、Jリーグでは「百年構想」ということを打ち出されています。
百年というのはものの例えであって、百年の歴史がないと日本のスポーツ界は変わらないだろうから、すぐに結果を求めずに長い目で見てほしい、というメッセージでもあるんです。Jリーグのクラブが地域に根ざして独立していくために、「百年構想」というスローガンのもと、じっくり時間をかけて取り組んでいこう、というものなんです
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