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最前線!職業人インタビュー vol22
“人を動かすアイディア開発”のノウハウで社会で“使える”人材を育てる
空前の「讃岐うどんブーム」の仕掛人 四国学院大学社会学部教授 田尾和俊 氏
たお・かずとし1956年、香川県生まれ。香川県立観音寺第一高校、関西学院大学経済学部を卒業後、広告代理店に入社。82年、(株)ホットカプセルに出向し、香川県内のタウン情報誌『タウン情報かがわ』初代編集長に就任。人気投稿企画「笑いの文化人講座」を開始、同企画の単行本を25冊発行。89年から香川県の穴場うどん店探訪集団である『麺通団』を結成し、同誌に探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」の連載を開始。これが讃岐うどんブームの発端となる。93年に同連載をまとめた単行本『恐るべきさぬきうどん』第1巻を刊行(同シリーズは全5巻)、地元で空前のベストセラーとなり、讃岐うどんブームに火がつく。94年、同社代表取締役社長就任。99年には讃岐うどんブームが日本全国に広がったことが認められて「高松市文化奨励賞」を受賞。02年3月、退任し、翌年4月より現職。03年、「かがわ21世紀大賞」(香川県)受賞。四国新聞客員論説委員、香川県情報発信アドバイザーなども務め、テレビ・ラジオ、イベントなどでも活躍中。近著に『超・麺通団 団長の事件簿』(西日本出版社)がある。
(2005年2月21日掲載)
※インタビュー:2005年1月24日

―10年ほど前から「讃岐うどん」がブームとなり、香川県内の田んぼの真ん中にあるような製麺所にタレントが探訪するグルメ番組が全国ネットで放送されるようになりました。そのブームの火付け役が田尾さんですが、まず、現在の仕事内容からお聞かせください。


現在は大学教授の仕事がほとんどです。それ以外には、香川県からの情報発信についての受託研究をしたり、民間企業から商品開発のアドバイスを求められたりしています。また、たまに講演やテレビ・ラジオ、イベントなどへの出演を頼まれたり、原稿執筆を依頼されて書く、といったところです。

―大学教授はどういった経緯でなられたのですか 。

ある事情があって会社をやめた時、知人であった四国学院大学の元学長が声をかけてくれまして。たまたま「カルチュラル・マネジメント学科」という新しい学科を文部科学省に申請する直前のタイミングで、学外から教授を登用する計画があったんです。非常勤ではなく、本雇いの身柄です。

―大学ではどういったことを教えられているのでしょうか 。


まず、1年生対象の「アイデア開発論」という講義があります。これは、アイディアを生み出す力を養うもので、この授業の中味が大本となった「人材活用論」「観光マネジメント論」「観光政策論」「カルチュラル・マネジメント概論」などの講義を2年生以上に教えています 。

―いかにアイディアを生み出すか、というノウハウは、タウン情報誌をつくっていた頃のご経験が基になっているんですね。

そのとおりです。「アイデア開発論」には2つの柱がありまして。 1つ目は、アイディアを生み出す手法を身につけるというものです。

情報誌の編集会議の時のことですが、その時になってアイディアを考え始めても、たいていは時間のムダにしかならないんですね。そこで、参加する全員が会議までにアイディアを考え出して持ち寄ることにしたんです。ところが、出てこない(笑)。情報誌は新しい企画が出ないことにはマンネリ化してしまいますので、これは困った、と。そこで、編集長である私はもちろんいくつかアイディアを出していましたので、自分はどうやってアイディアを引っ張り出していたのかをマニュアルにまとめて、みんなに渡したんです。そうしたら出るようになりまして。アイディアの源泉である“盲点”を引っ張り出すということは、天性の素質ではなく、考え方という“道具”を使えばできるんですね。その道具を学生に授けることが1つです。

―2つ目の柱というのは。

そうやってたくさん出されたアイディアから、成果を生むものを選ぶ必要があります。情報誌はビジネスですから、企画を実現してみて人は動きませんでした、では0点ですから。そこで、読者が掲載されているモノを買ってくれたり、紹介されている場所に行ってくれたりするには、どうすればいいのか、という観点で成果を生むアイディアに絞り込むわけです。そのプロセスはなかなかマニュアルに明文化しにくいんですが、そこを考え続けながら蓄積してきたノウハウがあります。

―アイディアを出し、成果を生む方法論に落とし込むノウハウを教える。かなり実践的ですね。

学問とはいえ、過去の編さんではないんです。今から何がやれるのか、という観点だけ。第一、私自身そういった類の文献を研究しているわけではないし、観光政策にしても行政が過去、何をしてきたかといったことに突っ込んで明らかにしていこうとは思っていません。自分が情報誌の編集を通して、試行錯誤しながら実践の中で成果を上げてきたことを体系づけて教えている、といったところですね 。

―具体的にはどういったことがポイントになるのでしょうか。


情報誌をつくっていた時はどうすれば人を動かせるのか、ということを念頭にスタッフを指導していたわけですが、常に「誰をどうしたいのか」ということを問うていました。そこをあいまいにして成果物をつくり始めるから、中途半端なものになったり、代替案が出てきた時に選べなくなるんです。ですから、何か企画をつくり始める時は、まず「今からやろうとしていることは、誰をどうすることか」ということを全員で合意して確定させる。そこを突き詰めていくことで、人を動かす迫力をもった仕掛けができるようになるんです。

例えば、レストランの紹介記事をスタッフはみんな「店内は白を基調としたインテリアで」どうのこうのと、正しい日本語で字数をきっちり守って書いてくる。そこでダメ出しをするんです。「その店を知らないお前の友だちに、行くように説得することを想像してみろ。『白を基調に』な〜んて言うか?」って具合(笑) 。

―なるほど(笑)。「讃岐うどん」ブームも、そうやって実践されてきた成果の1つですね。

知人に誘われて「中北」といううどん店に連れて行かれたことがすべての始まりでした。偶然には発見できないような場所にあって、しかも民家の納屋みたいなところで間に合わせの客席でうどんを食べさせていたんです。その隣では卸し用の麺を打っている。製麺所だったんですね。近所のおじさんやおばさんが集って食べていました。できたてのうどんが香ばしくて非常においしいし、天ぷらまで揚げてくれるんです。何なんだここは、という驚きでした。香川県に生まれて30数年、こういった“うどん屋付き製麺所”という存在を知ったのはこの時が初めて。編集屋の血が騒ぎました(笑) 。

―たしかにそそられます(笑) 。

その店というか製麺所には、テレビ局や新聞社の人もよく通っていたらしいんですが、「面白い」という取り上げ方をしなかったんです。彼らマスコミは、若者を面白がらせるという視点を持っていなかったから。一方のタウン情報誌もしかりで、我々より早く創刊していたライバル誌も香川県の情報誌でありながら、それまで一度もうどん店の特集を組んだことがなかった。若い人にとってはおしゃれではない、という理由です。我々も、うどん店は有名店とか老舗しか眼中にありませんでしたから。それが、ずっと若者を相手にして彼らにウケることを探していた私が、「中北」を知って、これは面白いと感じたんですね。この驚き、面白さを彼らに伝えれば動く、と。さっそく、編集会議を開きました。

―それで讃岐うどんブームの発端となった連載「ゲリラうどん通ごっこ」ができた 。

面白いうどん店は山の中や田んぼの真ん中、入り組んだ集落の中などにあって、真っ直ぐに行けない場合が多いんですが、迷いながら行く道中がまた楽しかったんです。ようやく辿り着いた時は、すでに半分おいしい(笑)。読者にもこの感動を味わってもらうには、自分たちと同じ体験をしてもらうのが一番です。記事は普通、写真と短い紹介文で構成しますが、ならば連載は、その道中から紹介する探訪記しかない、ということになりました。写真を載せるのもやめて、地図もわざとなかなか辿り着けないようなぼやーっとさせたものにしてね(笑)。

―それで若者が飛びついたわけですね。全国にまでおよぶ大ブームになるとは考えていなかったのでしょうか。

まったく。県内を対象にした情報誌ですから、そのエリアでしか考えていませんでした。県内の若者が本を片手にうどん店巡りを始めて、小さなガッツポーズをしたんですが(笑)、それがブームの第1の局面。我々はそれでOKでしたが、そうやって遊んでいたのを地元のテレビ局が目につけて、面白がって取り上げてくれまして。それで全国のマスコミにまで広がるというブームの第2の局面になりました。第3の局面は、「はなまるうどん」などの全国チェーン店が出始めたことですね。

―全国ブームになっていった時は、どんなお気持ちでしたか 。

うれしかったですよ、それは。それまでは 15万人ほどの香川県の若者を対象にしていたのが、全国の老若男女まで動かせたわけですから。それで「高松市文化奨励賞」をいただきましたが、私の手柄のように言われるのは違います。たしかにそれまでなかった着眼点でうどん店を見たことで、自分でもうまくいったと思いましたが、自分たちは狭いところで面白がっていたに過ぎません。これほどのブームになったのは、マスコミの方や、リスクを負ってチェーン店を広げたり、製麺設備を増強したりした、うどん業者さんなど、多くの人たちのおかげなんです 。
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