経済の世界のみならず、日本社会全体をあっと驚かせてくれるライブドアの堀江社長。まだ32歳になったばかりだという。 10年前は大学生、15年前はまだ高校生か…などと想像しては、その若さと実力にも驚嘆する。
高校生のときは勉強はできたが、どちらかというと目立たない学生だった、こんなにでっかいことをやるようになるとは思わなかった、と堀江社長の同級生らは語る。クラスや部活動で活躍するタイプではなく、ひとりで世の中をじっと見つめ、頭の中であれこれ考えるのが好きだったのかもしれない。
堀江社長のような突出した青年の話題が毎日、これでもかと報道されるのを見ながら、今の若者たちはどう感じているのだろう。「一流大学を出て大企業に就職するばかりが“勝ち組”じゃないんだ」と励まされているのか、それとも「ホリエモンに比べればオレなんかダメだ……」と逆に意気消沈しているのか。いずれにしても、目標や比べる対象がケタはずれ、というのはなんだか気の毒な気がする。
マスメディアがまだこれほど発達していなかった頃、スポーツ選手や芸能人はいわゆる“別世界の人”であり、自分と比較してどうこうという対象ではなかった。「すごい人もいるものだ」と驚いていればそれでよかったのだ。そして、「あの人に負けたくない」というライバルは、あくまで現実の生活の中にいた。つまりライバルより少しでも成績がよければ、「オレってすごい」と無邪気に有頂天になることもできたわけだ。
ところが、今はライバルは身の回りにだけではなく、メディアの中にもいる。若くして活躍している人たちの日常までが詳細に紹介され、レポーターが「素顔はふつうの若者です」と強調する。そうなると「彼は“別世界の人”だから」と無視することもむずかしくなる。学校や塾で少しくらい成績が上がっても、「でも、あの20代の脳科学者に比べれば全然ダメだ」と素直によい気分になれない。クリニックでは、そのうち次第に自分に対する自信が目減りしていく、というケースにもよく出会う。
情報が多いというのは、それだけ選択や判断の材料も多くなるということだが、どうも若い人たちにとっては、過剰な情報は劣等感や自信喪失の材料になるばかり、という気がする。あくまで、現実の生活の中で自分を見つめる。これが必要なのではないか。 |