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最前線!職業人インタビュー vol23
取材対象への共鳴を大切に人物ノンフィクションを執筆
処女作『はたらく若者たち』が復刊 ノンフィクション作家 後藤正治 氏
ごとう・まさはる1946年、京都府生まれ。大阪府立四條畷高校、京都大学農学部卒業。政治家秘書、ミニコミ誌編集などの職業を経験後、30歳でフリーのノンフィクション作家に転進。1983年、『はたらく若者たち』(日本評論社)でデビュー。[『空白の軌跡』(潮出版社)で潮ノンフィクション賞、『遠いリング』(岩波現代文庫)で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』(文春文庫)で第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞(同賞はノンフィクション分野における「芥川・直木賞」と位置づけられる)]。著書に『甦る鼓動』(岩波現代文庫)、『生体肝移植――京大チームの挑戦』(岩波新書)、『私だけの勲章』、『咬ませ犬』、『ふたつの生命――心肺移植を待ち望んで』(以上、岩波書店 同時代ライブラリー)、『奪われぬもの』、『牙――江夏豊とその時代』、『スカウト』(以上、講談社文庫)など多数。04年、処女作『はたらく若者たち』が岩波現代文庫から復刊された。最新作は『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』(文藝春秋)。日本経済新聞の土曜日夕刊に連載コラムを執筆中。
(2005年3月22日掲載)
※インタビュー:2005年1月31日

― 後藤正治さんの処女作である『はたらく若者たち』が復刊されました。まず、このことから伺いたいと思います。


出版社の担当編集者に、恥ずかしいからやめてくれと言ったんですが、「もうゲラになっています」と言われまして(笑)。やった仕事が恥ずかしいのではなく、我ながら稚拙な表現、半端な構成、生硬な思考が目立ちましてね。全面的に書き直したいという衝動に駆られましたが、そうすると別の作品になってしまいますし、まぁ当時の自分の力量をいまさら糊塗しても仕方あるまい、と思って訂正は最小限のものにとどめました。

― そもそもはどういったお仕事だったのでしょうか。

この本は、日本評論社から出されていた『月刊労働問題』という雑誌に79年 11月から2年間、連載された記事がもとになっています。当時は若者の組合離れが問題になっていて、そんな若者の就労意識を探ることが目的で始まった仕事でした。港湾労働者や炭抗労働者、長距離トラックの運転手などと現場で一緒に仕事をさせてもらいながら取材をしました。どの若者も、いまでは死語となってしまっている、「額に汗して働く」といった仕事ぶりでしたね。

― 取り上げられたのは、現業職がほとんどですね。


労働問題に関する雑誌、ということもありましたから。でも、「きつい・汚い・危険」のいわゆる3Kの仕事現場ほど魅力的だと思ったことも事実です。大夕張炭鉱を取材したときなんか、会社の許可もなく、いきなりトロッコに乗せられて地下の採炭現場に連れて行かれたんですよ。もし災害が起きたらどうなっていたことか(笑)。いまでは到底考えられないことでしょう。それだけおおらかな世界で、気持ちのよい人たちが多かった記憶がありますね。

― いまの若者をめぐっては、フリーターやニートの問題が深刻化しています。本の帯に「働くことを嫌う若者たちに捧ぐ」というフレーズが書かれていて、このタイミングの復刊には、そういった問題に対するメッセージがあるように思うのですが。


仕事というのは賃金を得るための手段ではあるけれども、それと同時に「小さな充足感」をくれるものだということを、取材を通じて学ばせてもらったように思います。どんな仕事にも意義深い面があるんだということが、この本を通じて現代の若者にも伝わればいいですね。すでに 25 年という時間が経っているので、産業自体消えてしまっているものもありますが、もしいま同じ仕事現場を歩いても、同じような若者に出会うようにも思うんです。世の中の風潮は変わっても、青春期に遭遇するテーマは普遍のものと思うからです。

― このお仕事で後藤さんはノンフィクション作家としてデビューされたわけですが、プロになったと感じられたこととは。

担当の編集者がしつこい人で(笑)、何度直してもあきらめずにまた直しを要求してくるような人だったんです。そのおかげで、取材が甘いとごまかせなくなる、ということを学びましたね。いい原稿を書くには現場に取材に行くしかなくて、一度の取材で足りなければ二度三度と補っていく、という姿勢が身についたように思います。

― ところで、現在の後藤さんのお仕事について伺います。

5年がかりとなった『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』の仕事が終わって、充電しているというか、ただボンヤリしているというか(笑)。『Number』や『AERA』などの雑誌に記事を書いたり、講演の仕事をこなしたりしていますが。単行本の仕事では、アンソロジーをまとめているところです。

― 『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』では、東京オリンピックで金メダルを獲得するなどの大活躍をしたチェコスロヴァキア体操チームのチャスラフスカ選手が、母国の政治弾圧にあってもなお、節を曲げずに生き続けている姿を伝えられています。


チェコに行っても、結局、彼女とは会えなかったんです。というのも、彼女は母国の政治弾圧からの復活後、息子が元夫を殺すという事件で精神に失調をきたし、療養生活を送っています。人と会うことは一切、拒んでいるとのことでした。しかしながら、取材には通訳兼コーディネーターを介して質問項目を書いた紙を渡し、それに回答してもらう形で応じてくれました。「あなたはなぜ二千語宣言(※1)への署名を撤回しなかったのですか」という私の質問に対して、「節義のために。それが正しいとする気持ちはその後も変わらなかったから」という回答がファックスで届いたとき、私は何度も眺め直しました。「節義のために」など、いまや滅多に見聞きしなくなった美しい言葉です。元々は雑誌『 Number 』の仕事でスタートしたものでしたが、このファックスを受けてから、自分自身でもっと追いかけてみようと思いましてね。本人に会えないので、同時代を生きた人を取材するしかなかったわけですが、旧社会主義国の人は世界中に散りぢりになっていて、あちこちに行くはめになりました(笑)。結果的にチャスラフスカとは会えずじまいに終わっていますが、残念という気持ちと、会えなかったから記憶に残るチャスラフスカ像は五輪当時の美しいまま、という思いの両方がありますね。

―自分自身で、ということは、取材費も自費で 。

本にする話がありましたので、出版社からサポートもしてもらいましたが、基本的には自腹です。収支は赤字ですね。それでも仕方ないと思います。もの書きには、食べていくための仕事を確保しながら、自分のテーマを持続的に追いかける手仕事があるように思います。チャスラフスカの場合は、過酷な時代と不条理な運命を引き受けつつも、なお節義を貫いた彼女を通じて、どんな時代でも侵されることのない普遍なる精神の形といったものを記したいという思いに駆られてのことでした。

―次のテーマとしてお考えになっていることは 。

いくつかあるんですが、スタートが遅いたちで、まだ動き始めていません。僕はいま58 歳なんですが、60代の人間は何をしていったらいいのか、といった老兵らしい仕事をしていければいいかなと思っています。いわゆる 2007年問題、団塊の世代が 60歳の定年を迎えることの影響がいろいろいわれていますね。団塊の世代もいろいろ問題を抱えていて元気がないような気がする。大げさですが、そんな老兵仲間の肩を押してエンカレッジするような仕事ができればいいですね 。

― 後藤さんは、女子マラソンの有森選手(※2)、ラグビーの神戸製鋼の林選手(※3)などのケースに代表されるように、選手としてピークを超えて陰りが見え始めた時期のスポーツ選手についてよく書かれていますね。

私の場合、書く際には、その人への共鳴感といったものがキーになってきました。いまを盛りのスターにも関心はあるんですが、会ってもあまり共鳴することがないんですね。これは彼や彼女らの問題ではなく、そこに私が人生を感じないといいますかね。人には、上り坂一方で世界が我がもののように思える時間帯っていうものがありますが、それを過ぎないとわからないものも多いと思うんです。そこに共鳴感がわくのですね。絶頂期を過ぎて下り坂に向かう人のほうが、ノンフィクション的なテーマとしては、豊かなんですね。もっとも、出版社が僕のそんな志向を知っていて、そんな注文ばかり来る、ということもありますが(笑)。
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