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―後藤さんの高校時代についてお教えください
。
田舎にあるのんびりした地味な高校でした。どこにでもいる普通の目立たない高校生だったと思いますよ。問題を起こすわけでもなく……。思い返してみれば、高校時代の自分は、自分でもあんまり好きじゃないですね。大人しくて、勉強はそれなりにできるから、先生から見れば「いい子ちゃん」だったでしょう。でも、内面は複雑なものがありましたね。あまり明るくはなかったな。
―悩みを抱えておられた
。
誰にもある、青春期特有の内面を抱えていた一人だったと思いますよ。学校や先生という存在が疎ましかったですね。学校にはあまりハツラツと通っていたわけじゃなく、早く通過してしまいたいと思っていました。勉強はこなすけれども、将来への希望は見つからなかったですね。 10代の半ばの青年にはある種、普遍的なことだとは思いますが。
―どういったことをして過ごされていたのでしょうか。
受験には関係ない本をよく読んでいましたね。安部公房や大江健三郎、ドストエフスキーといった重たい小説が多かったかな。さほど理解できていたわけではありませんが、自分の心象風景に近しいと思っていたと思います。いま思えば、ぱっとしなかったけれども、冴えなかった分、それが自分自身を培っていたとはいえなくもないかな。
―大学は京大の農学部に進まれましたが。
自分は科学が好きだと思っていたんです。農芸化学を専攻して技術者か研究者になりたいと。でも、そんな気持ちが心底あったわけではなく、当時は理系偏重の社会風潮があって、そっちに進まなければいけないという意識に押されていた。理系科目の点数もある程度良かったので、向いていると思い込んでいたんですね。テストの成績と向き不向きはまったく別のことなのに。
―当時は大学紛争の時代でしたね。
京大は学生運動が盛んでしたが、運動や政治的なことには距離を置いていました。あの騒ぎの中で、勉強どころの雰囲気ではありませんでしたね。大学に入っても将来の希望は見つからず、悩み多き時代でした。でも、あの時代を通過しなければもの書きにはなっていなかったでしょう。大学を卒業して、小さな雑誌社とか、政治家の秘書などいろいろな職業に就きました。一応、それなりにこなしたと思いますが、どれも向いてはいませんでしたね。 20代は、そうやってどこかで自分が折り合いがつけられる場所探しをずっとやっていたように思います。ずいぶん回り道をしましたが、それがあってノンフィクション作家の道にたどり着いたといえるかもしれません。 20代の終わりに、ようやくものを書く世界なら自分が折り合いをつけられると思えたわけです。
―学生時代の体験が現在の仕事の原点になっている、と。
学生運動が活発だった大学で、「大学とは何だ? お前とは何だ?」といった問いかけが書かれていたビラか何かを見て、自分は何をしているのだろう、と胸に響いたことを思い出します。大学に対してさまざまに要求はしていたものの、結局、自分たち一人ひとりは何なのかという思いをぶつけていたのかもしれない。それが回り回って、現在のノンフィクションを書くという仕事に結びついているのではないかと思います。
―
何か伝えたい、という思いはあったのですか。
いえ。正直に言うと、高い志があったのではなく、もの書きならがまんせずにできそうだ、といったぐらいのことですよ(笑)。もの書きになったとき、 30歳になっていましたが、それまで充足感を憶えた仕事がありませんでしたから。何か伝えたいというより、始めるにあたっては高邁なことを説くことだけはやるまい、と思いました。そんなものは嘘っぱちだとね。学生運動に参加しつつ、政治的スローガンに虚偽のにおいをかいでいた、という原風景があったからかもしれません。もちろん大状況といったものを説くことも大切でしょうが、自分自身はそうではなく、個々の人間の営みを書くことで状況にリンクしていくことならできるかもしれない、と思ってきました。
―最初のお仕事は。
科学的なことへの理解が多少あったということで、友人が公害問題の小さな雑誌の仕事を紹介してくれました。人と会って話を聞いてまとめる、というのは嫌いではなかったですね。
―職業的な技術は、どうやって身につけていかれたのでしょうか。
新聞社などで記者としての訓練を受けるといった経験がありませんでしたから、取材をし書きながら少しずつマシになっていった、という感じでしょうか。いまだに素人っぽいところがあるなぁ、と感じているくらいです。あとは、本を読んできたということが大きいでしょうか。必ずしも読めば書けるようになるというわけではありませんが。
―
前に、仕事は「小さな充足感」を与えてくれるもの、とお話しいただきました。ノンフィクション作家にとっては、それはどういったことでしょうか。
読者の方に「面白かった」と言っていただけることでしょうか。結局、もの書きにはそれしかないと思います。また、これはレアケースではありますが、北海道の若者から『リターンマッチ』(※4)を読んで進路を決めた、と言われたときはドキッとしましたね。それが本当によいことだったのかと心配しましたが。まぁ、直接的に大きなことをしてきたわけではありませんが、書くことを通して誰かの背中を押すことをしてこられたかもしれないとすれば、それが一番うれしいことですね 。
―
一般的にいって、ノンフィクション作家の意義、価値はどういったところにあるとお考えでしょうか。
新聞やテレビ、インターネットなどによってすさまじいまでの情報が流されている時代ですが、そういった断片的・表面的な情報に必ずしも満足していない人もいるわけです。ノンフィクションは、ジャーナリズムの片隅にあって、ひとつの事象を深く掘り下げる役割を担っているように思います。個人的なことを取り上げているようでも、趣味的なことではなく社会的な意義のある仕事を手がけていきたい願いは込めています。チャスラフスカにしても、有森選手にしてもそうですが、いつの時代にも過酷な状況におかれても背筋を伸ばして生きる人というのはいるものです。いつの時代においても、そういった生きかたには普遍性があると思う。私が一番書きたかったのは、そういうことだったと思います。
―有森選手について書かれた記事にある「人はだれも、いつも途上にいる」という一節が印象的でした。若者へのメッセージを感じます。
彼女はまじめで悩み多き人でしたね。走ることを通じて何かをしたい、という手ごたえを求めて常に痛々しいほどもがいていました。私は、右往左往してもがくことは悪いことではないと思うんです。いま、ニートが問題になっているようですが、モノが豊かになったから顕在化しただけで、もがき方は時代によって移り変わっても、もがくこと自体はいつの時代でも青年期に普遍的なことなのではないかという気がします。労働政策的なことも大事でしょうけれども、一人ひとりの内面にかかわる部分が大きいと思いますね。空虚感を抱えた若者が多いように思いますが、やがてどこかで自分で折り合いを見つけていかなければならない。有森選手に、「走ることはつらくないか」と聞いたとき、「肉体的な苦しさはあるけれども、がまんできる。がまんできないのは、がんばる対象がないこと」という答えが返ってきました。そのことは、ニートの問題の根幹にあることと重なっているように思います。問題の根は深い。でも、谷が深いほど山も高い、道も開ける、ということもあるのではないでしょうか。
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どうもありがとうございました。
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