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小説家になりたいとはじめて思ったのは、小学校6年のころのことだった。私の頭の片隅で起こった小さな爆発にも似たその思いは、中学に進学して本格的に読書をするようになりますます膨れ上がっていった。
小説家になるのが大変そうなことは予想がついた。そこで私はその目標を達成するために、壮大な読書計画を立てた。自分を小説家に育成するための、夢のようなプランである。
中学の3年間は、日本内外を問わずに世界的な名作を一冊でも多く読みこなしていく。世界と日本、文学全集を片っ端から読破しながら、太宰やカミュといった気に入った作家の入手可能な全作品を読んでいった。
高校時代の3年間は、それにプラスして哲学書を読むことにした。ハイデッカー、サルトル、ヤスパース、そしてヴィトゲンシュタインなど。理論武装のため、つまりこれからの人生を屁理屈だけでは負けないようにしておくためである。哲学書は頭が痛くなるほどに読みにくく難解のきわみだったけれど、いくつかの収穫もあった。読みにくい文章、つまり悪文になれていったこと。理解不能なセンテンスや、頭に入らない言葉の羅列も、読むことができるようになっていった。つまり文章に対する忍耐力がついたのである。そして、考えていることをそのまま文章化することの退屈さや不毛さを嫌というほどに知らされることになった。
毎日、毎日、頭が痛かった。
それでも「存在と無」とか「純粋理性批判」とかに立ち向かっていった。高校時代の今にしか、こんなことはできないだろうという予感があったし、その直感はほぼ完璧といっていいほどに当たっていた。
大学に進学して英語の原書を読むようになったが、それを可能にしたのは、語学力ではなく高校時代の哲学書読み漁りの訓練の成果だったと思っている。意味がわからくても、何とか読み砕き前に進んでいくということができるようになっていたのだ。
私が小説家としてデビューできるまでは、その高校時代からさらに20年以上もの時間を要している。小説を書くのは理屈や理論を積み上げていけばいいのではない、ということを経験とそれに費やした月日が教えてくれているように思う。私の場合に必要だったのは、20年という過去の積み重ねだったのだ。もしそのことに、高校時代に気づいていたら、私は間違いなく他の道に進んでいただろう。 |
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| おおさき・よしお |
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| 作家。1957年、札幌市生まれ。1982年、日本将棋連盟に就職し、雑誌「将棋年鑑」「将棋マガジン」「将棋世界」を手がける。1991年、「将棋世界」編集長。2000年、デビュー・ノンフィクション『聖の青春』(講談社文庫)で新潮学芸賞を受賞。01年、退職して作家に転進。同年、第2作『将棋の子』(講談社文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞。02年、初の小説『パイロットフィッシュ』(角川文庫)で吉川英治文学新人賞を受賞。主な作品に『九月の四分の一』(新潮文庫)、『アジアンタムブルー』(角川文庫)、『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』(新潮社)、『別れの後の静かな午後』(中央公論新社)、『孤独か、それに等しいもの』(角川書店)、『ロックンロール』(マガジンハウス)、『ドナウよ、静かに流れよ』(文藝春秋)などがある。 |
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