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最近注目された映画のひとつに、昭和30年代の東京下町の日常模様を描いたものがありました。読者の先生方はこの映画をご覧になりましたか?
「もはや戦後ではない」日本の高度成長時代の幕開け、しかも現在に比べればまだまだ物質的には豊かでないけれども大人にも子どもにも夢があった、そういったストーリーに賛否両論の声もあったようです。いずれにせよ最近、昭和の時代を回顧する一種のブームがあります。景気の本格的な回復を迎え、雇用状況も好転したにもかかわらず、時代状況の閉塞感を抱く人も少なくないことがその背景にはあるのでしょう。人間が快適に生活できる「便利」を追求してきた結果が閉塞状況というのは情けない話のようですが、人類の歴史というものはそうした一路邁進とリバウンドの繰り返しなのかもしれません。
便利な道具の一例として、「ケータイ」を挙げてみましょう。いまやその普及は飛ぶ鳥を落とす勢いです。読者の先生方もお持ちでない方は明らかに少数派ということになるでしょう。私も日常の業務用には使っていますが、私用にはある種の意地を張っていまだに携帯していません。多数派が生きやすいのは世の常で、以前はなくて当たり前だったものが、最近は持っていないことが何か悪いことをしているような偏見の目で見られることすらあるのではないでしょうか。「便利だから」の一言で急速に普及した背景には、もちろんITという科学技術の発展と手を組んだ経済至上主義があることは否定できません。
さて大人は別にして、子どもたちに対するケータイの功罪をめぐっての議論は学校現場でも盛んに行われていると思います。それにしても子どもたちの姿を見ていると、やはり心配になってきます。まるで自分の位牌をうつむいたまま眺めているような姿として映ってしまうのです。ちょうど「上を向いて歩こう」の反対です。夢も希望も失って自分という人間の位牌を眺めている、と言えばいささかオーバーなアフォリズムかもしれませんね。いずれにしてもマスコミでかまびすしく指摘されているように、これからの若い人の「夢をめざした向上心」はどうなるのでしょうか? それは人間性というものの大切な要素のひとつであるはずです。
わが国の将来に向けたさまざまな問題点をここで挙げる余裕はありませんが、少なくともコミュニケーション能力の低下が指摘される子どもたちの人間性喪失の危惧は、ケータイという道具にも表れている気がします。人間性を育むことに不可欠なはずの人と人が直接対話するという、ある意味で不便な行為はもはや「時代遅れ」とされてしまうのでしょうか? |
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| なかじま・かずのり |
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| 1956年、広島県生まれ。1982年、東京医科歯科大学医学部卒業。精神科医、医学博士。1990年より社団法人東京都教職員互助会三楽病院精神神経科に勤務。1999年、同部長。2006年より東京都教職員総合健康センター長兼務。東京都教育庁委嘱医。東京医科歯科大学臨床教授。日本学校メンタルヘルス学会運営委員など。主著に『先生が壊れていく―精神科医のみた教育の危機』(弘文堂)、『あなたの学校は大丈夫ですか? 教師のメンタルヘルスQ&A』(ぎょうせい)、『こころの休み時間―教師自身のメンタルヘルス』(学事出版)、『教師と子どものメンタルヘルス―診察室からみた社会と教育』(東山書房)などがある。 |
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