こうした提言を行ったのも、中教審では今の日本が「成熟社会」にあることを大前提に議論したからです。成熟社会とは、絶対的なメインストリーム(主流)がない社会です。例えば私が学生のころならば「重厚長大」型の大企業への就職を目指して努力すれば人生は成功すると信じられていましたが、現在ではそうした産業はメインストリームでなくなってしまいました。成熟社会では、多様な道があることを忘れてはいけません。特に「探究」は、そうした唯一の正解というものがない社会に向かって乗り出していく力を生徒たちにつけさせるための、創造的な学習活動です。
もちろん点数を取る以外の才能が見つからなければ、とりあえず一生懸命勉強して大学を目指すのもいいでしょう。しかし大学に進むにしても、今やスポーツ推薦など学力以外で入る道もたくさん開かれています。「習得」を測ることに長けている大学入試センター試験は、「活用」や「探究」に最も反した試験と言えますが、そのモデルとなった米国のSAT※3は、30年くらい前から活用の力や探究、創造の力を測ろうと、一部に論述式を取り入れていることにも注意すべきです。
ただでさえ学校の教師は、今も社会にメインストリームが存在していると思い込みやすいものです。自分たちの学校時代に紆余曲折の経験がない人が多く、就いた仕事も安定しているからです。しかし、それでは成熟社会に出て行く生徒たちに役立つアドバイスなどできません。教師自身、一日10分でいいから専門教科以外の読書をしたり、芸術に触れたりして、日常生活への埋没を避けるようにするべきです。そうすることで「習得」一辺倒の授業は自然と変わっていくはずですし、常に「活用」「探究」型の学習活動を意識しながら、生徒たちを正解のない世界にも導いていってほしいと願っています。(談)
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