キャリアガイダンスVol.415
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図1 「カリキュラム・マネジメント」の三つの側面※中央教育審議会 教育課程部会「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめについて(報告)」平成28年8月26日よりⅰ各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校教育目標を踏まえた教科等横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。ⅱ教育内容の質の向上に向けて、子供たちの姿や地域の現状等に関する調査や各種データ等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価して改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること。ⅲ教育内容と、教育活動に必要な人的・物的資源等を、地域等の外部の資源も含めて活用しながら効果的に組み合わせること。 その「自立」にしても、誰にも頼らないこととは違います。多様な人々と関わっていくこれからの社会では、人に頼ることも大事だし、頼られることもまた大事。そうしたことが自然とできることも、私たちが考える自立であると定義しました。 同様に、「探究」という、当時は耳新しい言葉についても、ローカルな定義づけをしたことが後に生きました。中教審の議事録にあったのをヒントに使い始めたのですが、そこでの文脈や、辞書的な意味もさることながら、わが校における探究とは何なのかを考え、共有することのほうが大切だと考えたのです。 事実、今では一般的になった「課題探究型学習」ですが、どういう意味で使っているかは人や学校によって微妙に異なります。私が知る限り、最も厳しい定義をしているのが東京大学の市川伸一先生でしょう。課題の設定、取り組み、発表、振り返りのすべてを生徒がするのが探究学習だという定義です。いっぽう、大きなテーマは学校が用意し、そのなかで何を課題とするかは生徒に委ねる学校もあれば、課題は教員が提示し、教員の指導の下で調べ学習をすることを探究学習と呼ぶ学校もあります。 堀川高校での定義は市川先生のそれと重なるのですが、これに近いかどうかで善し悪しが決まるわけではありません。問題なのは、定義があいまいなまま、先生によって解釈が異なる状態。これでは生徒も先生も混乱してしまいます。教員間で共通認識をもつこともカリキュラム・マネジメントで大切なことだと思います。 堀川高校では、生徒の状況に応じてさまざまなことを相当に議論しました。なかには、「探究活動ばかりしていて受験の役に立つのか?」という批判も出てきます。それに対して、「学ぶことが面白いと思うようになれば、勉強にも身が入るのでは」と反論があがります。 また、夏休みに文化祭の準備に追われている3年生の姿を見た、異動して日の浅い先生が、「受験まであと半年なのに何をしているのか。模試はひどい成績なのに」とあきれることもありました。それに対して多くの先生が「生徒自身が何とかするはず」とこたえたこともあります。 教員の意見は様々。異論をもつ人は必ず現れます。この、異論が表に出てくることが重要です。そうでないと、これまでの流れで良しとしている先生方が、本当に良いのか振り返る機会が生まれません。 多様であることと共有できないことは違います。カリキュラム・マネジメントとは、学校組織として目指す教育の方向を調えることであって、個人の教育観を揃えるわけではありません。皆が金太郎飴のように同じことを言い出すほうが異様です。 よく、「よそ者・若者・馬鹿者」と言われますが、違う角度からものを見ることは、変革を起こすうえでとても大切です。多様であることが強みなのは、学校組織に置いても同じこと。カリキュラム・マネジメントは多様性の中で行われるからこそ意味をもつと思います。 逆に言えば管理職には、そうした多様性をしっかり受けとめる度量が求められます。校長が「この考えで行く。私の考えに従わなければだめだ」と言った瞬間、学校は硬直します。言われてやるのと、自ら気づいてやるのとでは、結果に大きな違いをもたらすように思います。学校が多様であることと共有できないことは違う142016 DEC. Vol.415

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