キャリアガイダンスVol.417
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102017 MAY Vol.417業しながらでも気軽に食事ができるパッケージにつながったりします。 歩数計の改良をテーマにしたワークショップで妊婦さんの協力を得た際は、こんな気づきがありました。その歩数計は1万歩を超すと、「バンザイ」マークが表示されるのですが、妊婦さんにとっては3000歩でも大変。がんばって歩いたつもりなのに、労をねぎらってくれていないようで面白くありません。そうした個別の使用者のシーンを無視し、一律に1万歩が健康という線引きをしていた事実に気付かされた瞬間でした。 同様に、自分たちとは違うバックグラウンドをもつ人々との協働は、単一の価値観の下では見過ごされがちな視点を与えてくれます。 ある電気機器メーカーは、医療用画像診断装置の高解像度化や撮影時間の短縮化という開発プロジェクトを進めていました。その際、画像処理の専門家だけではなく、病院内での子どものストレスについて研究している心理学者の声も取り入れたことで、検査を待つ患者の不安の大きさに気付くことができました。そこで、検査空間を遊びの空間にするなど、さまざまな工夫により患者の緊張をほぐすようにした結果、撮影時間の短縮化につながっただけではなく、鎮静剤注射による医療リスクの軽減という、より大きな課題解決につなげることができたのです。 インクルーシブデザインと出合い、それがもたらす気づきの力を実感した私は、教育や人材育成、ものづくりの現場など、数年かけて100回以上のワークショップを開催しました。回を重ねるたび、他者を受け入れることで生み出される新たな価値の大きさを痛感しました。 同時にそれは日本社会に欠けているもの、そのものだと思うようになりました。今、日本の企業ではダイバーシティ&インクルージョンの掛け声の下、外国人や、心身に障がいのある方、女性の積極的採用などが行われています。それ自体は歓迎すべきことですが、国民性なのでしょうか、驚くほど形骸化が進んでいるのも事実。多様性がもたらす実利のためではなく、「人手不足だから仕方なく」「国や会社が命じるからやっている」といった消極的な理由であることが多いのです。しかも、これまで日本の社会がしてきたのは、多様性をマイノリティとして受け入れるというスタイルです。そのため、結局は同化政策になってしまう。「自分たちと同じ言語を話し、同じ価値観を受け入れるのであれば居てもいいですよ」という具合に。つまり、「容認」です。 だから、外国籍の社員に対して、「多少言葉が通じなくても我慢してあげる」。育休明けの社員に対して「16時に帰ることを認めてあげる」など、上から目線になるし、仮に問題が生じると、「言葉も考え方も違うので使い物にならない」「16時に帰ってしまうので重要な仕事を任せられない」など、自分たちのマネジメント力を棚に上げて、不足点ばかりに目を向けてしまうのです。多様な人々がもつ能力を、その能力をもたない側が自分の論理や尺度で評価しては、せっかくのダイバーシティ&インクルージョンも台無しです。 そのような消極的な姿勢ではなく、自分を変える手段として多様性を積極的に取り入れなくては。それには、異なる人とふれあい、自分を相対化する体験を積むことです。 私自身、価値観を大きく転換させられた出来事がありました。それは、インクルーシブデザインに関わり始めたのと同じ頃。ある福祉団体に誘われ、視覚に障がいのある方とともに上野の美術館で美術鑑賞をした「ために」から「ともに」へダイバーシティを阻む「容認」という思考誰かの「ために」ではなく、誰かと「ともに」する

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