キャリアガイダンスVol.417
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122017 MAY Vol.417です。それに社会教育の拠点としての博物館や美術館も有効活用していただきたい。特に博物館や美術館は、物事の優劣ではなく、多様さを一望できる絶好の学びの場ですし、連携できる科目も多いはずです。 評価軸が複数あることも、多様性の涵養にとって大切な要素です。大学院で精密工学を学んでいた当時、プログラム通り動くのではなく、自ら価値観をつくり行動するようなロボットがつくりたくて研究をしていました。その一環で、ボールをうまく蹴ると報酬がもらえるロボットサッカーのプログラムを実行していたとき、他のロボットを邪魔するロボットの集団が現れました。自分たちを守るために他者を排除しだしたのです。「こんな単純なプログラムでもいじめのようなものは起こるのか」と驚きましたが、それを回避する手段は、ボールを増やすことでした。すると、各自がそれぞれボールに触れることができるため、他のロボットの邪魔をすることもなくなりました。そのときに気付いたのは、資源が豊富だと、みんなが多様なままいられることです。 これを教室に照らし合わせてみると、どういうことになるか。褒められる手段や、自分を肯定できる価値がいくつもあれば、全員がありのままでいられるのではないでしょうか。実際、小・中学校の頃はスポーツや勉強、優しさや笑いのセンスなど、評価軸が多く、みんなが生き生きしていたはずなのに、次第に偏差値という一つの物差しだけで順序がつけられるように感じて、自己肯定できなくなる生徒がいることは残念です。 そうした生徒が卒業後、どのような社会で生きているかを先生が知っておくことも重要です。しかし、現実には、同窓会のような機会を除き、どこでどう活躍しているか、あるいは苦労しているのか知る術がありません。フィードバックの機会がないため、育てた人材に何が足りていて、何が足りていないかわからないのです。 例えば、学部を考慮せず偏差値だけを基準に進学した後、学びに対するモチベーションを失っている大学生が数多くいることを多くの先生方は知りません。全国から学生が集まってくる大学で、入学後、上には上がいることを知って自信をなくし、学びの方向性を見失ってしまう学生がいることも知りません。唯一絶対の物差しであった偏差値以外にすがるものがなくなり、目標を失ったようにつぶれてしまう。 それでも、かろうじて就職した先にあるのが、国籍も文化も違う人たちとの協働や競争です。前述したように、学んだ知識はやがて陳腐化します。学んだことが通用しない世界に足を踏み入れたとき、踏ん張りが利くかどうか。そうした力こそが問われています。 自分と考え方も言葉も文化も異なる人たちと日常的に接することは、口で言うほど簡単ではありません。違和感が生じることもあるでしょう。そのことでことさら「自分は冷たい」「寛容さが足りない」などと悩む必要はありません。インクルーシブという言葉自体、「包み込む」とか「巻き込む」と訳されることが多いのですが、実際には「違和感のあるものをそのまま受け入れる」といったニュアンスのある言葉です。 無理に共感しなくていい。違和感はあって当然。ただ、そこから始まって、差異を楽しめるかどうかで、その後の人生は大きく左右されると思います。大事なのは、自分を常に見つめ直すこと。その意味では、異質の中に身を置いてみることほど有効な方法はありません。その違和感によって揺り動かされて変わる自分が本当の自分なのかもしれないし、それでも変わらない自分が自分なのかもしれません。いずれにしろ、揺り動かされてみないことにはわからない。そうやって多様性の中で自分を相対化し、何かを感じるところからがスタートです。異質の中に身を置くことで、気付く本当の自分評価軸を増やすことが多様性を育む違和感があって当然。その上で多様性を楽しめるかどうかインクルーシブデザインの概念や実施プロセスを、その第一人者らがわかりやすく解説した一冊。『インクルーシブデザイン 社会の課題を解決する参加型デザイン』ジュリア・カセム、平井康之、塩瀬隆之ほか(学芸出版社)

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