カレッジマネジメント188号
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日本人の目からみると、アメリカの大学院は必ずしも分かりやすくはない。分かりにくさの最たる部分は、Ph.D.(哲学博士)を授与する文理大学院(グラデュエイト・スクール)と、法学、医学、神学などの専門職学位を授与するプロフェッショナル・スクールとの関係である。日本語では両方とも大学院という一語で訳しているが、アメリカにはグラデュエイト・スクールとプロフェッショナル・スクールの2つがある。この2つはどういう関係にあるのか、これまで必ずしも共通理解があったわけではない。そこで話を簡単にするため、グラデュエイト・スクールは大学教員になる専門研究者を養成する機関、それに対してプロフェッショナル・スクールとは専門職業人を養成する機関といった説明が日本ではなされてきた。それで大方の場合は済んだが、ただ場合によっては、必ずしもそうとは言い切れないケースがあることを、知る人は知っていた。しかしそれは一部の事情通の間だけのことで、それをあえて取り出し、話を難しくさせるよりも、「だいたいの知識」で済ませてきた。ところが本書の著者は大学院がどういう収入源で維持されているのか調べているうちに、アメリカの仕組みがいかに多様なのかを発見する。そこで従来の二分論を克服するためには、個別の大学院の実地調査が必要なことを感じ、23大学を直接訪問することとなった。本書はそうしたインタビューの結果をまとめたもので、普通一般に行われている研究者を養成する文理大学院、それに対して専門職を養成するプロフェッショナル・スクールという旧来からの二分論の限界を指摘している。そしてアメリカの大学院の多様な姿を紹介している。アメリカの大学院がどのような財政的な基盤の上に成立しているかは、日本の場合とはかなり異なっている。評者自身の経験を語れば、ある国際会議の席上(今から40年ほど昔)、日本の大学院は自前の収入では維持できず、学部段階の教育で得た収入を大学院に振り替えて維持していると説明したところ、幾人かのアメリカ人から、アメリカではとうていそのようなことはできない、なぜ日本ではそのようなことができるのかという質問が続発して、対応に苦労した経験がある。本書の著者の場合も、大学院がどのような経済基盤の上に成り立っているのかという点がきっかけとなり、この研究につながっている。一番分かりやすい点を挙げれば、医師を養成するメディカル・スクール、法律家を養成するロー・スクールで教える教員を集めるには、普通の医師や法律家が得ているのと同じ報酬を用意しなければ、メディカル・スクールやロー・スクールには来てくれない。つまり大学院教授にならなければ得られたであろう収入を保証しない限り大学院教授を確保することはできない。そこでは「市場価格」という基準が働いている。そうなれば当然のことながら、人件費が高くなる。大学院を維持経営するには、それに見合う収入を確保しなければならない。寄付金、連邦政府の補助金、大学院自身の営業収益だけでは足りず、当然のことながら高い授業料を徴収しなければならない。しかし授業料を高くすれば、優秀な院生を引き付けることができなくなる。そこで一方では高い授業料を徴収しながら、その反面では優秀な院生を引き付けるために特別の奨学金を用意することになる。この点だけ考えても、大学院の経営が複雑になることが理解できよう。著者はこの500頁を超える労作のなかで、「だいたいの知識」では満足せず、様々な具体例を挙げて、多様な姿を丁寧に解きほぐしている。阿曽沼 明裕 著『アメリカ研究大学の大学院』(2014年 名古屋大学出版会)だいたいで分類される2種類の大学院複雑な経営基盤を丁寧に解説インタビュー調査から多様さを解明

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