カレッジマネジメント191号
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16皇學館大学(以下、皇學館)には、あの森厳たる伊勢神宮の佇まいのイメージが重なる。神宮のお膝元に設置され、神道を教授してきた皇學館大学の中心にわが国古来の伝統が位置づくことはその通りだ。ただ、それだけで皇學館を語り尽くすこともまた、できない。5年ほど前まで志願者数の低迷に苦しんだ皇學館は今、伝統を継承しつつも、地域からの信頼を得るべく新たな挑戦を続けている。そこに頑な守りの姿勢は見られない。近年どのように改革を進め、今後どこを目指そうとしているのか。清水潔学長にお話をうかがった。日本社会と歩んだ皇學館の130年皇學館は2014年5月現在、3学部6学科を擁し、2,881名の学生が学ぶ中規模大学だ。まずは、ここまでの来歴を振り返っておきたい。その130年余りに及ぶ歩みは明治以降のわが国が歩んできた歴史とまさに軌を一にしている。皇學館は、明治から昭和にかけて激動する日本社会と命運を共にしてきたと言って過言ではない。その淵源は、伊勢神宮祭主の久邇宮朝彦親王の令達によって明治15(1882)年、神宮学問所として知られた林崎文庫に「皇學館」が開設されたことに遡る。清水学長は、皇學館開設の背景として、日本全体が近代化や欧化主義に覆われるなか、日本の歴史や文化がなおざりにされていることへの強い危機感があったと説明する。皇學館には、日本古来の国文や国史を継承していくこと、そして神宮をきちんと理解した神職を養成することが期待されたという。皇學館はその後、教育研究機関として着実な発展を見せる。明治36(1903)年に内務省管轄の官立専門学校となり、さらに下って昭和15(1940)年には、当時の大学令の下で「神宮皇學館大學」に昇格している。それが終戦後は一転、国家神道を禁じるGHQの神道指令によって廃学に至る。ここで一旦、皇學館の歴史は途絶する。創立64年目に皇學館を見舞った苦難だった。皇學館の再興が叶ったのは昭和37(1962)年のことだ。母校復活を願う卒業生達の熱い思いを背景に、国文・国史の2学科で新制大学として再スタートを切った。その再興には、日本の戦後政治を担った二人の首相も大きく貢献した。廃学時に外務大臣を務めていた吉田茂元首相は皇學館復興運動に協力を惜しまず、再興が成就した後、初代総長に就任している。さらに、1967年には二代目総長に岸信介元首相が就いた。岸総長は、日本の伝統的学問を追究してきた皇學館の独自性の維持を目指し、文学部以外の学部設置は必要ないとの判断を示されたと清水学長は語る。ただ、時代は変化していく。新たな時代の要請に応じた学部・学科編成の必要性が高まった。1975年には、戦前実績のあった教員養成を行うべく、小学校や幼稚園の教員養成を担う教育学科が文学部に設置された。さらにその2年後には神道学科が設置され、文学部は暫く4学科体制が続学部廃止の試練を経て地域のニーズに応える学部創設へリクルート カレッジマネジメント191 / Mar. - Apr. 2015清水 潔 学長皇學館大学C A S E2

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