カレッジマネジメント194号
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世の中全体にきな臭い雰囲気が立ち込めはじめている今日この頃である。この本の著者からすれば、世間の人々がもっと敏感になって当然であるにも拘らず、あまりにも鈍感すぎる。これがこの本の著者の基本的な立場である。まず表紙に「緊急出版」という文字が躍り、「政治の暴走がもたらす教育の危機」のいうフレーズが躍っている。いかにも、この自分が立ち上がって、大声で叫ばなければどうにもならない、止むに止まれぬ立場に置かれたという心情がそのまま表現されているのだろう。著者の危機感はどこに根ざしているのだろうか。著者は安倍政権が次々に打ち出す教育政策を、5本の矢でまとめている。第一の矢とは「思想統制」。第二の矢とは「人格統制」、第三は「教育機会の制度的格差化」、第四は「教育統制」。第五は「行政的統制」の5つだという。もう少し言葉を補って説明すれば、第一の「思想統制」とは、教科書改革実行プラン等の教科書政策に見られる子どもの心を統制しようとする国家主義的な思想統制のことであり、第二の「人格統制」とは「心のノート」改訂版や、「道徳の教科化」に見られる新保守主義的な人格統制のことだという。第三の「教育機会の制度的格差化」としては、小中一貫教育の制度化や学校教育システムの再編に見られる新自由主義的な格差化、第四の「教育統制」とは全国学力テストの学校別の結果公表や大学入試改革に見られる成果主義的な統制であり、第五の「行政的統制」とは、教育委員会制度の改革によって促進されかねない学校現場・教職員の管理主義的な統制を挙げている。民意を蹴散らす政権への渾身の抗議現政権のもとで次々と展開されている教育政策は、この機会を逃したらもう二度とチャンスはないとみる危機感・焦燥感の反映なのか、あるいは多数派政党の自信・驕りに裏打ちされているようにみえる。矢継ぎ早に提出される改革案の裏には「決める政治」に対する強い願望が裏打ちされているのだろう。既に衆議院を通過した集団的自衛権を具体化した諸法案がそうだったように、少しでも熟議をこらして内容を国民に向けて説明するよりも、ともかく通過させたうえで、その時々の政府の判断に任せればよいという「決める政治」への願望があるのだろう。著者の表現を借りれば、それは「民意を僭称し振りかざす独善的政治家」の「政治暴走」ということになる。そこには全ての選挙民を巻き込んで熟議を求めるのではなく、それを蹴散らそうという姿勢しかないようにみえる。もともと近代国家のなかで、自ら武力の放棄を国の内外に向けて宣言する近代国家など存在しなかった。それをあえて宣言した戦後日本は、まさに「未完のプロジェクト」を宿命として背負った国であり、そのプロジェクトを完成させることが、世界史的な課題だった。ましてや人の心に関わる教育の姿かたちは、国民的な討論抜きにはでき上がらない。しかもこの国民が全て一致した意見を持っているわけではなく、一つひとつがそれなりの意味を持った様々な意見の間に、最低限の合意に取り付けること自身が容易であるはずがない。それはわれわれの社会の宿命でもある。最終章で著者は「名誉の等価性」という言葉を使いながら、どのような領域でも活動であっても、そこでの努力や活動は、等しく賞賛に値する価値を持っているという原理を改めて主張している。こうした価値観を基準とすれば、まさに現政権のとる政治手法はとうてい受け入れられるものではあるまい。そこには筆者の渾身の抗議がうかがえる。藤田英典 著『安倍「教育改革」はなぜ問題か』(2014年 岩波書店)世間の鈍感さに警鐘を鳴らす

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