カレッジマネジメント195号
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20東京都八王子国際キャンパス 文京キャンパス 1960~70年代の大学の拡張期、都心の大学の多くはその拡張先を八王子市など郊外に求めた。それは、1959年の工業(場)等制限法という、都市への産業や人口の過度の集中を防止する法律の対象に、工場だけでなく大学が含まれていたからであった。ここで取り上げる拓殖大学もその一例である。拓殖大学が八王子に新学部の設置を始めるのは1977年である。1977年設置の外国語学部、1987年設置の工学部、2000年設置の国際開発学部(2007年に国際学部と改称)と次々に新学部を設置し、総合大学化を図った。また、文京区茗荷谷にある文京キャンパスの商学部と政経学部の教養課程に在籍する1〜2年生は、八王子キャンパス設置時より、そこで学生生活を送ることとした。こうして、八王子キャンパスの学生数は5840名、文京キャンパスは商学部と政経学部の3〜4年生のみの2560名となり、学生の規模でみれば八王子キャンパスがメインの様相を呈するに至った(図表1)。それが大きく転換するのは2000年である。2000年は創立100周年を迎えた年だが、それが今後の大学の方向性を考える契機となり、「拓殖大学ルネサンス事業」として打ち立てられた。その中核をなすのが、「キャンパス整備事業」である。特に、文京キャンパスは、1960〜70年代に建設された施設が多く老朽化が進み、しかも狭隘である。再開発はたびたび課題にのぼっていたものの、各種の法的規制が立ちはだかっており、具体的には進まなかった。しかし、その頃、工業(場)等制限法の廃止の議論が始まり(廃止は2002年)、それを見越して文京キャンパスの再開発による、収容力の増大が計画されたのであった。10年にわたる文京キャンパス整備事業キャンパスの再開発は、キャンパス内の問題ではすまされない。文京キャンパスでは、キャンパスの壁を取り囲む道路に隣接して住宅地が広がっている。隣接する道路の拡幅工事が必要であり、また、何よりも近隣の住民には、再開発によって学生数が増加することへの理解を得ねばならない。建築物の高さ等についても各種の規制がある。これらの課題をクリアしてこそ、キャンパスの再開発は可能になる。学内では、拡張したキャンパスにどの学部を置くかが課題都心回帰をばねにした飛躍を目指してリクルート カレッジマネジメント195 / Nov. - Dec. 2015外国語学部(1~4年)国際学部(1~4年)工学部(1~4年)商学部(1~2年)政経学部(1~2年)5840名八王子キャンパス商学部(3〜4年)政経学部(3〜4年)2560名文京キャンパス図表1 移転前後での各キャンパスの配置学部と学生数学生数(定員数・学部合計)※以下同8400名これまで外国語学部(1〜4年)国際学部(1〜4年)工学部(1〜4年)3280名八王子国際キャンパス商学部(1〜4年)政経学部(1〜4年)5120名文京キャンパス8400名キャンパス再編成後(2015年4月~)全学部において4年間同一キャンパスでの一貫教育を実現再整備C A S E1拓殖大学拓殖大学ルネサンス事業─八王子から文京へ川名明夫 学長

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