カレッジマネジメント197号
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41今や、どの大学もアドミッションポリシー・カリキュラムポリシー・ディプロマポリシーを定めている。しかしながら、それら3つのポリシーが相互に連関して大学教育を貫通しているかどうかは、何とも言い難いところがある。その原因の1つは、どのような資質を持った学生が欲しいのか、そのためにはどのような入学者選抜を実施すればよいか、その両者の関係が突き詰められていないことにあるように思う。ICUの場合、アドミッションポリシーとして「文系・理系に囚われない広い領域への知的好奇心と想像力」、「的確な判断力と論理的で批判的な思考力」、「多様な文化との対話ができるグローバルなコミュニケーション能力」、「主体的に問題を発見し、果敢に問題を解決してゆく強靭な精神力と実行力」を掲げている。このポリシーそのものは格別に珍しいものではない。しかしATLASをはじめとする入試の方法を検討すると、アドミッションポリシーがそこに体現されていることがわかる。また、こうした選抜方式により、ICUが目指す教育に適性がある入学者を採れてきたというこれまでの経験が、このポリシーに表れているように思えてならない。アドミッションポリシーと入学者選抜方式との明確な関連があるからこそ、2014年には大学入試センター試験の利用停止に至ったのかもしれない。背後には、大学入試センター試験はICUにとってデメリットのほうが大きいという判断があった。そのデメリットとは、1つには、当初想定していた地方からの志願者が増加しなかったことがある。もう1つには、ICUの卒論の提出2月1日の半月ほど前にセンター入試が実施され、そのための学内入構禁止や図書館利用の停止という措置が、追い込みの時期にある卒論生に不利益をもたらすことである。さらには、センター入試への対応が、教職員にとって負担になっていることも指摘できる。これらのデメリットは、大学入試センター試験の利用によって志願者を獲得できるというメリットよりも大きいということであり、さらに言えば大学入試センター試験でなくても適性のある入学者が採れるということであろう。入学者に求める資質の明確さ、それを具現するための入学者選抜方式があってこそ、こうした選択がなされるのであろう。アドミッションポリシーを体現する入学者選抜アドミッションポリシーを体現する入学者選抜伊東学部長は面白いことを言われる。「受験生が、面白かった、役に立つことを学んだ、と言ってくれるような入試にしたい」。多くの受験生にとってみれば、合格か不合格かの岐路にある入試が「面白い」「役に立つ」等と思うような余裕はほぼない。だが、ATLASでは、ワインのトピックの問題からも分かるように、講義で聴いた情報と自分の持てる知識との相互作用によって解答を選択していく、その思考力が試されている。こうした知的な思考回路をまわすことを「面白い」と思う受験生に入学してほしいという意味と考えれば、入試を面白くしたいと表現されることは理解できる。続けて伊東学部長は、「入試は教育の一部にすべきと考えています」とも言われる。確かに、その大学の教育への適性を見極めるのが入試ならば、選抜した学生に対しては適切な教育がなされなければならない。その観点から、ICUでは一般教育を重視し、4年間かけて学習することを推奨している。この一般教育とは、既に日本の大学ではほとんど死語となっている、専攻の専門科目(Major)に対する一般教育(General Education)を意味する。これを専門の導入や基礎とはせずに、分野横断的に構成された内容とし、学生の視野を広げて思考力を高めるものと位置付けている。そして、全教員が一般教育を担当する。シラバスとは別に、その科目において学生に何を学んでほしいかをまとめた『一般教育ハンドブック』からは、知的好奇心を持って入学した学生がさらに好奇心を高められるようにという、教員からのメッセージが伝わってくる。入試と教育とはこのようにして接合しているのである。入試も教育の一部とすると、入試とはその大学がどのような大学か、どのような教育を行うのか、学生をどのように成長させるのかを端的に語っているものであり、受験生に対する大学からの最大のメッセージということができる。その大学からのメッセージに賛同し受け止めることができた者が、合格の切符を手にする。ICUの入試には、そのような仕掛けが組み込まれているように思う。入学者選抜は大学教育の一部入学者選抜は大学教育の一部リクルート カレッジマネジメント197 / Mar. - Apr. 2016(吉田 文 早稲田大学教授)特集 相互選択型の入学者選抜へ

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