カレッジマネジメント202号
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 かつて大学とはその社会を代表する組織で、一国の大学をみればその国が分かるとまで言われていた。つまり大学にはその国の歴史・思想・文化が凝縮されているとされていた。その頃は大学を何か一つの尺度の上に一列に並べて、どれが上、どれが下という具合にあれこれ議論すること等、全く考えられていなかった。一つひとつの大学はそれぞれ個性を持っており、それを丹念に観察し、その特性を理解すべきものとされていた。大学にはそれぞれ個性があり、その独自性を理解し、その特徴を学びとることが重要とされてきた。ところが21世紀の到来とともに、一国の内部だけでなく世界全体で、どの国の大学が1位か、どこが2位かといった序列の中で考える発想が登場した。その背後には大学の数が急速に増えたこと、全ての大学をどこでも対等に扱うことができなくなったこと、世間の目から見ても大学間の格差が目立ってきたこと、政府と大学との力関係が変化し、財源を握る政府の力が強くなったこと等が関係している。本書は編者を中心に編成された、そうそうたる19名のメンバーで行われた共同研究の成果を一冊にまとめたものである。本書は大きく二部に分かれている。第一部は「大学評価の背景と現状」、第二部は「大学評価の体系化に向けて」という二部編成になっている。第一部では大学論の変遷と展開から始まり、大学改革の方向、大学評価の歴史的展開、大学評価の制度化、大学評価の国際的動向、という章から構成されている。第二部は大学評価論の理解、大学評価の展開からなっている。もともと大学は入学試験という天下の宝刀を握っており、その宝刀を使って年々多くの不合格者を製造していた。選抜試験である以上、受かる者よりも落とされる者が多くなるのは当然の理である。だからこの仕組みに世の中全体が怒りを抱き、ルサンチマンを抱えていた。その結果、大多数の者が大学に対して怒りを抱える結果となった。その大学が今度は逆に評価の対象になるという情報が流れたとき、世間は今までの恨みを晴らさんとばかり拍手喝采した。特にそれまで学生の評価権を握っていた大学教員が、今度は逆に評価される対象になることが明らかになるとともに世間は拍手喝采した。大学評価導入を支持した心理的背景は、こうした大学に対するルサンチマンを抱えていた大量の不合格者群だけでなかった。どこの国でも大学教員という人種は鼻持ちならぬ高慢チキとして嫌われていた。官僚からすれば何かといえば政府批判をしでかす。財界からすれば、いざというときは資金を財界に頼りながら、肝心な時は素知らぬ顔をして財界が悪いと批判する。普段からアイデアを借りることの多いメディアの世界から見ても、大学教員とは自分達の都合が悪くなるとメディア批判に傾くいやらしい輩だった。社会のなかで一人超然と批判的な言辞を弄する大学は、今こそ叩かれなければならない、こういった復讐合戦が大学評価の心理的背景にはあった。もちろんこうした生々しい心理だけで一国の制度ができることはなく、一定の合理化が施されて、一つの制度として成立してゆくこととなる。大学評価はこうした大学とそれを取り巻くもろもろの勢力との力関係の中に成立してきたし、これからも新たな展開があることだろう。本書では日本の事例だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、アジア諸国での動向、さらには国境を越えた国際機関の動向が紹介されている。大学基準協会監修 高等教育のあり方研究会・生和秀敏 編著『大学評価の体系化』(2016年 東信堂)序列重視の発想と政府と大学の力関係世間が評価導入を支持した心理的背景

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