キャリアガイダンス保護者版
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 萩大島船団丸は、漁業の六次産業化の事例として注目されている山口県萩市大島の漁業者グループです。その代表が坪内知佳さん。経営コンサルティングの経験がある坪内さんは、漁業の現場にビジネス感覚をもち込み、漁協を経ない自家出荷の販路拡大に尽力。船団丸結成前の赤字解消も順調に進んでいます。 きっかけは漁労長の長岡秀洋さん(船団丸団長)と出会い、六次産業化の手助けを依頼されたこと。 「やるからには漁に関しても『そうやるのはなぜ? ほかのやり方はな〝後悔しない生き方を〞この思いが原点にある坪内さんがその日獲れた魚を顧客に連絡。その場で注文を受け、漁師が船の上で箱詰めして出荷する『鮮魚BOX』漁業の島・大島。萩沖の大陸棚は潮流が激しくプランクトンなどのえさが豊富でおいしい魚が獲れる。瀬つきアジなどが萩ブランド魚として有名久米さんが“自走”する力を身につけていったプロセス中学~高校時代中高一貫の女子校に進学。歌って踊ることが大好きで英語にも興味があり、部活はESSに。中学1年から高校2年まで英語ミュージカルに熱中する日々。学校の教育方針で、顧問は口出しせず、すべて生徒が自分たちで考えて活動していた。部活引退後将来はエンターテインメントなど「なくても生活はできるけど、あると楽しいもの」にかかわる仕事に就きたいと考えていた。就職、専門学校なども選択肢に入れてゼロから考え、国際系の大学への進学を目標に。大学時代大学2年の夏からイギリスのウォーリック大学に留学。周りはほとんどイギリス人という環境の中で、「まず相手の考え方を知る」という異文化コミュニケーションを学ぶ。就職出版系志望だったが、サントリーで働いている先輩たちが楽しそうにしていることに魅力を感じて就職。入社2年目『オランジーナ』商品開発プロジェクトに参加。当時は商品開発の経験もなく、戸惑うことも多かったが、「わからないことは聞けばいいんだ」という上司の言葉がきっかけで、積極的に動けるようになった。萩大島船団丸代表として漁業の第六次産業化に取り組む坪内知佳さん(27)飽くなき探求心があるから未知の世界にも飛び込めた萩大島船団丸代表。福井県立福井商業高校卒、名古屋外国語大学外国語学部英米語学科中退。航空会社のキャビンアテンダント志望だったが、病気が原因で断念。大学を中退して結婚し、山口県萩市へ移住して出産。離婚を経て、萩で翻訳・経営コンサルティングの事務所を立ち上げる。25歳で萩大島船団丸設立に携わり、代表に就任。自身で行政や漁協と交渉を重ねて六次産業化の認可を受ける。自家出荷開始後は営業・事務を一手に手掛けているChika Tsubouchiいの?』と口を出すのが私のやり方。当然、衝突はありました。でも、ベテラン漁師に怒鳴られても、私も負けずに言い返しますから(笑)」 言い返せるのは自信があるから。その自信の源の一つは人並み外れた探求心です。船団丸への参加が決まってからは、魚の生態から漁業者と行政・漁協との関係まで徹底的に調べました。わからないことは聞き、ときには学術論文にも当たる。坪内さんの提案や行動は結果につながり、海の男たちの信頼を得ていきました。 学生時代のアルバイトでもそう。疑問をぶつけ、自分で研究して新しい方法を提案し、職場を変える。その積み重ねが今につながっています。 また、自分の生き方は自分で決めるというスタンスも徹底しています。「学生時代に大病をしたときに思ったんです。『あと半年で死ぬとして、後悔しない生き方をしてきただろうか』と。それ以来、自分の人生に納得して生きられるかどうかを最も大切に考えています」(坪内さん) 都会で他人のペースに合わせて働くことを嫌い、人間らしい生き方を求めていた坪内さんにとって、萩大島船団丸との出会いは運命的でした。 「お金のためではないんです。今はやりたいことがやれている幸せを感じていますし、それをさせてくれる周りへの感謝も忘れません」(坪内さん) 学生時代から〝自走〞を続けてきた坪内さんの言葉は、「スキルや能力は後からついてくる。本当に大切なのはマインドやハートなんだ」と改めて感じさせてくれます。山口県萩市大島のまき網漁業者3社が、環境の変化などで近年急速に進んだ漁獲量の減少に対応するために結成。漁業者が商品化や流通までを手掛ける六次産業化に取り組んでおり、2012年7月から都市部の飲食店などへの自家出荷をスタート。坪内さんは営業担当として販路拡大に努め、現在は毎月1割増を目標に自家出荷量を増やしている萩大島船団丸26

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