キャリアガイダンスVol.410
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希望の道標取材・文/山下久猛撮影/吉川道成おおみなみ・しんや●1953年徳島県生まれ。日本大学卒、米国スタンフォード大学院修了。1991年、日米親善のために1927年に神山町の小学校に贈られた青い目の人形「アリス」を64年ぶりにアメリカへ里帰りさせる。これをきっかけに国際交流の重要性に気づき、神山町国際交流協会を設立。毎年40~50名の日本人の英語教師アシスタントの外国人若者を受け入れ、町内の家庭で民泊させるというプログラムを実施。1997年には国際文化村委員会を設立し、日本初となるアドプト・プログラムと神山アーティスト・イン・レジデンスを始動。2004年、NPOグリーンバレーを設立。2007年、徳島県から神山町移住交流支援センターの運営を受託。ワーク・イン・レジデンスや空家再生など、移住者支援活動を行った結果、2011年度、神山町史上初となる社会動態人口増を達成。都市部に本社をもつIT企業も続々と神山町にサテライトオフィスを設置。現在も「創造的過疎」をモットーに次々と魅力的なプロジェクトを立ち上げ、神山町の価値を高めている。イン神山→http://www.in-kamiyama.jp/大南信也新聞記事の主語を新聞記事の主語を自分に置き替えて読むと自分に置き替えて読むとええと思いますよ。ええと思いますよ。NPOグリーンバレー理事長/大南信也NPOグリーンバレー理事長/大南信也 徳島県神山町の町作りに取り組み始めて約25年になります。2004年に仲間たちと一緒に「日本の田舎をステキに変える」をミッションとしてNPO法人グリーンバレーを設立、町おこしのためのさまざまな活動を行ってきた結果、移住してくる人やサテライトオフィスを開設する企業もずいぶん増えました。最近は住民のおじいさんが「この町の行く末を見たいからもっと生きていたい」と言うまでになったんですよ。これが何よりうれしいし、希望そのものやと思うよね。 ただ、最初から町を劇的に変えてやろうなどと思ってたわけではないんよ。住んでおもしろいとかわくわくする場を作りたいというのがそもそものスタートで、同じ思いを共有する仲間と一緒に小さいことでもこれおもろいんちゃうかということをやり続けてきたら、結果として神山町がこれだけ活性化したということなんよ。 その原点は中学校時代に所属しとった科学クラブにあると思いますね。理論よりも先に毎日小さい実験をして、そこから出てきた事象をどう解釈するかみたいなことをずっとやりよったわけですが、これが今から思えば貴重な訓練やったと思います。ほやけん今でもグリーンバレーではまず小さいことから始めるんよ。ほんで改良を繰り返して段々といろんなことがやれるようになっていったわけ。もちろんすべての実験が成功するわけではなくて、なかには時期的にまだ早くてうまくいかないというものもありますよ。普通、そういうものはゴミ箱に捨ててしまうよね。そしたらその実験は失敗になるけど、ぼくらは「実験中フォルダ」に入れて寝かしとく。その後時代が進んで今ならうまくいくかもわからんなというときにフォルダからぱっと取り出してまた動かし始める。グリーンバレーは常にそういう状態なんよね。ほやけん、よく人から「大南さん、失敗ってないんですか?」と聞かれるんやけど、あんまり失敗したなと思うことはないんよ(笑)。 ぼくが昔からやっているのは「読み替え」です。例えば新聞にGoogleがこういうようなことをしましたという記事があったら、「Google」を「グリーンバレー」に置き替えて読んで、今Googleがやりよることをグリーンバレーがやったらどうなるかと考える。つまりシミュレーションよね。その訓練を10年20年と続けていくと、不思議と目の前にきた有益な情報や人をぱっとつかめるんよ(笑)。これも神山町がこれだけ活性化した大きな理由の一つやな。ほやけん、高校生のころからこの読み替えの訓練をしとったらええと思う。常に自分が記事の主人公になって、自分だったらどうやるかを考えると気づけなかった情報に気づけたり、将来進むべき道も見えてくるんとちゃうかなあ。 今はとても変化の激しい時代で、20年後には今ある職業の半分が新しい職業と入れ替わっとると言われているくらいやから、あまり先のことをあれこれ考えてもしょうがないし、偏差値もさほど意味をもたんようになるよね。ほやけん、若いうちからどんどんいろんな現場に出て、新しい物をいかに生み出していくかということに注力するほうがええと思うなあ。42015 DEC. Vol.410

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