キャリアガイダンスVol.418
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希望の道標取材・文/山下久猛撮影/吉永智彦1983年神奈川県生まれ。藤沢市の高校を卒業後、2浪してICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。在学中にイスラエル人とパレスチナ人を招いて平和会議を主催。長期休みのたびにバングラデシュに通い、娼婦や貧困層の人々と交流を重ねることで、人間の尊厳を守る職に就きたいと決意。卒業後は商社に4カ月勤務したがうつ病で退職。1年の引きこもり生活を経て、2011年NPO法人キズキ、2015年に株式会社キズキを設立。代表として不登校・高校中退経験者を対象とした大学受験塾の運営、大手専門学校グループと提携した中退予防事業などを行っている。●キズキ共育塾 https://kizuki.or.jp/やすだ・ゆうすけ挫折は人生を豊かにしてくれるスパイスのようなもの人より数年遅れたって全然問題ない。キズキグループ代表/安田祐輔 26歳の時に「何度でもやり直せる社会をつくる」をミッションに「キズキ共育塾」を立ち上げ、不登校気味の中学生、高校中退経験者、ひきこもり状態だった人など、困難を抱える若者たちに学習支援を行っています。 中学・高校時代の僕は入塾したての彼らと同じように、未来になんの希望ももてていませんでした。高校は神奈川県のいわゆる底辺校だったのですが勉強する意味を見出せず、学校にほとんど行かないで不良仲間と毎晩夜遊びを繰り返す日々。遊ぶお金はアルバイトで稼いでいたのですが、飽きっぽい性格で1つの仕事を3カ月くらいしか続けることができず、バイトをころころ変えていました。勉強もできない、仕事も続かないでは、卒業してもまともに生きていけない。危機感とか不安しかなかったです。このままだとこのつらく苦しい時間がこの先20代、30代になっても続いてしまう。それにはとても耐えられない。だから今、死に物狂いで努力して人生を変えたいと痛切に思ったんです。そのためには、大学に入って東京に出るのが最善策だと考えました。 自分を変える一環として、世の中のことを知ろうとニュースを見たり新聞を読んだりし始めました。当時9.11世界同時多発テロが勃発して、アメリカがアフガニスタンを空爆する映像が繰り返し流れていました。それを見たとき、自分ではどうしようもない環境で生きざるをえないという意味で、アフガニスタンの人々と自分が重なって、彼らのような人たちを支援する仕事がしたいと思ったんです。いろいろ調べると、そういう仕事は国連の領域で、職員の出身大学は東京大学とICUが多いことを知り、その2校を志望校に決めました。高3の12月のことです。 それ以来1日13~14時間の猛勉強を始め、2浪でICUに合格することができました。2年間、毎日14時間も勉強ができたのは、ここで失敗したら生きていく道がないと本当に切羽詰まっていたからです。それだけにICUに合格したときは言葉になりませんでした。これまでの人生であのときほど嬉しかったことはありません。 大学時代にバングラデシュに行ったとき、娼婦たちと交流したことで、人間の幸せってお金の有無じゃなくて自分の人間としての尊厳が守られているかどうかで決まると痛感しました。彼女たちと10代の頃の自分が重なって、人間の尊厳を守るような仕事をしたいと思ったんです。これが後にキズキを立ち上げた原点となりました。大学卒業後は大手企業に就職したのですが、組織の一員として管理されることに耐えられず4カ月でうつ病になり退職。1年間の引きこもり生活を経て、もう会社員は無理だとわかったので、社会起業家を支援する助成金制度に応募。採用され2011年に起業しました。 大人になってから思うのは、長い人生、人より3、4年遅れても全然大したことないってことです。例えば、当社の社員で、大学時代に引きこもって30歳ごろで卒業し、その後アルバイトで生計を立てて、40歳ごろに当社に入社し、かつての自分と同じような若者を教えている人もいます。彼は今すごく生き生きとしていて、だから人より数年遅れたって人生が終わるわけじゃないんですよね。人生のある時期に挫折したとしても、後であの時こういう経験があったから今の自分があると思える日が必ず来る。人生とは物語なので、挫折は後々人生を豊かにしてくれるいい思い出に変わります。なので、今がつらく苦しいと感じている人には、その苦しい気持ちはわかるけど、落ち込みすぎたり、人生に絶望しすぎたりしなくてもいいんですよと伝えたいですね。32017 JUL. Vol.418

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