キャリアガイダンスVol.422
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熊本大学教育学部准教授苫野一徳 私は、小学校低学年の頃から、「なぜ生まれてきたんだろう」「生きるとは何か」といったことを本気で悩むような、少し変わった子どもでした。周囲になじめず、特に、同調圧力が強くなる中学・高校時代は、「なぜ、みんなと同じことを考え、同じ話をしなくてはいけないのか」「何のために学校はあるのか」と自問し、精神的につらい日々を過ごしていました。そんななか、自分の存在を認めてくれる一部の先生や親の存在は救いでした。 そんなことから学校教育に関心をもち、教育学部に進学したのですが、最も知りたかった「そもそも教育とは何か」という問いの答えが見つかることはありませんでした。当時はポストモダン思想の最盛期。何を言っても、「絶対はない」と返される強力な相対主義の前では、「よい教育と言っても、人それぞれだよね」で済まされてしまうのです。そうした力に押され、「教育とは何か」という原理的な研究はほとんど行われていませんでした。 しかし、現実の社会は、それでは済みません。具体的な教育課題を前に、対立を解消し、協力する必要があるとき、「人それぞれ」と片付けられては何も始まらない。少なくとも誰もが納得できるところまで考えを深め、共通了解をもたなければ、教育の構想も実践も成り立たないのです。 そのような時期、哲学に本当の意味で出会いました。哲学とは、さまざまな物事の本質をとらえる営み。哲学的思考をものにすることで、自身の問題も根っこから解き明かされ、生きづらさを克服できるようになってそもそも教育とは何か、学校は何をするところか取材・文/堀水潤一 撮影/加来和博多くの教職員が携わる学校づくりにおいて大切なのは土台を共有すること。教育の構想や実践において、土台がなければ、時に対立を引き起こし、協働の妨げにさえなります。そう話す、熊本大学の苫野一徳准教授に、教育哲学の立場から、「そもそも教育とは何か」「学校は何をするところか」という教育の本質について、お話を伺いました。教育とは「自由とその相互承認」の感度を育むこととまの・いっとく●1980年生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。多様で異質な人たちが、どうすれば互いに了承し承認しあうことができるかを探究。また、哲学者、教育学者として、「そもそも教育とは何か」「その教育はどうあれば『よい』と言いうるか」という原理的テーマの探究を軸に、これからの教育のあり方を具体的に提言。一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団の理事として、2020年開校予定の幼・小・中混在校「軽井沢風越学園」の立ち上げに参画。82018 MAY Vol.422

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