キャリアガイダンスVol.422
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も深い考え方のことで、絶体の真理とは違います。それを踏まえたうえでも、この「自由とその相互承認」は、現段階で最も底まで落ちた、近代市民社会における公教育の普遍的原理だと思っています。 混迷の時代、一旦、根本に立ち返ろうということでしょうか。抽象的な話にもかかわらず、今、教育哲学が多くの先生方に興味をもたれていることを嬉しく思います。 とはいえ、全体の中では少数。基本的に、哲学者と、現場の先生方の思考モードは真逆と言っていいでしょう。立場の違いによるもので、良し悪しではありませんが、物事の本質から考える哲学者に対して、現場の先生方は、目の前の生徒から考えるため、具体思考が得意です。生徒に合いそうな教育方法があると、「早速、授業に取り入れてみよう」。効果がなければ、「では、次はこれ」と、現実に即して柔軟に対応できるわけです。 学校づくりのお手伝いのため、各地の学校を訪問すると、多くの先生が関心を示すのは教育の「方法」です。そこに土台がなければ、単なる「方法のパッチワーク」に陥る危険性がありますが、「何のために」という土台があれば、教育目標の実現に近づくことができるでしょう。 また、一人ひとりの思い入れが強い教育の世界では対立が生じやすいものですが、皆が納得する考えを共有することで、対立から協働に向かうことも容易になるでしょう。 このように、日々の実践においても原理を敷くことがどれだけ大事か。それを先生方にわかっていただきたい。「教育哲学」という存在があることを心に留め、実践にいきづまったときなどに思い出してほしいのです。 そもそも哲学とは人類の叡智の結晶です。私たちが今悩む教育課題の多くは、プラトン、ルソー、デューイなど、前の時代の哲学者によって答えが出されているとも言えます。 と言うと、「答えが出ているのに、なぜ解決できないのか」と反論されるかもしれません。理由は、哲学とは原理の学問であるから。原理がわかったところで、「では、どうするか」を考えるプロセスが始まるのです。 例えば、「自由とその相互承認」という原理が立ったならば、では、「現代において自由に生きる力とは何か」きたこともあり、「教育とは何か」という大問題に対しても哲学から挑もうと決意しました。専門的に言うなら、現象学という哲学と現代的に再構築したヘーゲル哲学を組み合わせることで答えが得られると感じたのです。 その結果、長年の問いに対する私なりの結論がでました。それは、すべての子どもたちが自由に、つまり生きたいように生きられるための力を育むことです。ただ、それだけでは互いにわがまま放題の自由を主張することになり、争いが生じてしまいます。自分が自由に生きるためには、他者の自由も認めないといけません。これを「自由の相互承認」と言います。ということで、「相互承認の感度を育むことを土台にして、すべての子どもたちが自由に生きられるための力を育むこと」。これこそ、教育の本質であるという結論に至ったのです。この「原理」を土台に敷けば、教育の実践も行政も、ブレることなく力強く進んでいけると確信しています。 ここで誤解してほしくないのは、哲学とは、常に、吟味・検証に開かれたものであり、テーブルの上に考え方を置くもの。「原理」というのも、最土台がないと「方法のパッチワーク」になる恐れ多くの問題の答えは出ている。あとは時代にあわせた実装を土台を敷くことからすべては始まる。だから実践に哲学を個人として、組織として 学校改革にどう取り組む?教育哲学からの提言 苫野一徳92018 MAY Vol.422

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