キャリアガイダンスVol.423
36/66

 ポートフォリオの本来的な趣旨を理解するキーワードに、「経験としてのカリキュラム」がある。 カリキュラムとは通常、教育内容の計画を指す。しかし、教師としては教えたつもりでも、さまざまな理由から生徒が学び取らないことも少なくない。あるいは、教師が意図していないこと、意図した以上のことを生徒が学び取っている場合もある。 このように、実際の学習は教える側の意図や計画を超えたところで展開されている。ならば意図や計画のいかんによらず、結果として一人ひとりの生徒が経験したものをカリキュラムと見てはどうか。カリキュラムとは個々人の経験の総体であるとのカリキュラム観、経験としてのカリキュラムという概念がそこにある。 そもそもカリキュラムという言葉には、集団で行う、あらかじめ定められた活動のコースといった意味はなかった。履歴書をcurriculum vitaeというように、カリキュラムには一人ひとりが歩むべき道、あるいは既に歩んできた人生の来歴という語源がある。 本来そのような意味をもっていたカリキュラムという言葉が近代、日本で言えば明治時代に入り、すべての国民が6歳になったら学校に通い、1年生ではひらがなを、2年生では掛け算を学ぶといった仕組みができ上がる中で、国家までが関与する教育内容の計画という意味に転じ、今日に至っているというのが、本当のところである。近代学校は、子どもの学習権・発達権を平等に保障すべく、すべての子どもに同じことを同じタイミングで教えてきたが、それは同時に、学校が個々人の歩む道、人生の在り方をあらかじめ定めるという、近代における個人の発達過程への公的規定の拡大でもあった。 したがって、個々人の経験の総体というカリキュラム観は何ら特異なものではなく、むしろ本来的な概念である。そして、近代学校の登場によって失われがちとなった一人ひとりの個性的な成長や、それを自らの意思と能力で切り拓いていく学びの必要性や価値を強調し、維持していくという働きが、経験としてのカリキュラムという考え方には期待されている。 ポートフォリオ評価とは、経験としてのカリキュラムの考え方に基づき、生徒と教師が協働して学習過程における個々人の多様な記録や表現を学習履歴として丁寧に保存し、教育評価の対象にするとともに、指導と評価の一体化の観点からそれを次の指導やさらなる学びの展開に生かす企てである。 通常の教科等の授業でも、単元や学期、年間といったさまざまなスパンでの学びを対象に、ポートフォリオは作成され、評価や指導に利活用されてきた。 伝統的な評価には、①教師のみによる評価情報の収集、②プロダクトの上智大学総合人間科学部奈須正裕 教授学校と教師はポートフォリオをどうとらえ活用していけばよいか中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会をはじめ、教育課程企画特別部会など数々の委員として重要な役割を担い、新学習指導要領のキーマンとされる奈須先生に、ポートフォリオの本質的な理解について寄稿いただきました。経験としてのカリキュラムポートフォリオ評価の特質なす・まさひろ●1961年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程教育心理学専攻を単位取得退学、博士(教育学)。神奈川大学助教授、国立教育研究所教育方法研究室長、立教大学教授などを経て2005年より現職。中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会、教育課程企画特別部会、総則・評価特別部会、幼児教育部会、中学校部会、児童生徒の学習評価に関するワーキンググループなど多くの委員を務める。主な著書に『資質・能力と学びのメカニズム』(東洋館出版社)など。362018 JUL. Vol.423

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る