キャリアガイダンスVol.423
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学校と教師には、これを生徒が自律的・創造的に成し遂げていけるよう支援することが期待される。 一方、高大接続改革に伴い注目を浴びているポートフォリオは、述べてきた一般的なポートフォリオとは若干趣きを異にしている。何より、通常の教科学習以外の、いわば特記すべき事項について、その活動と学びの意味を中心に収録する点が特徴的と言えよう。 しかし、その本来の意味合いからすれば、また入学者選抜の観点からも、教科学習をも含め、学校・家庭・地域で展開されるすべての学びを通して、生徒が自身のキャリア、自身の生き方・在り方をどのようなものとして展望し、その実現に向けて現に歩みを進めてきたか、そのトータルな姿を描き出すものである方が、「主体性」や「学びに向かう力」を判断するうえでも、適切であるし、有用でもあるのではないか。 もちろんそのためには、そもそもの日常の授業が生徒主体の、生徒が個性や創意工夫を発揮する余地をもったものとなることが不可欠である。このことを等閑視するが故に、ポートフォリオが特記事項のみを対象とせざるを得ず、それをもって「主体性」の評価とするしかないというのでは、本末転倒であり、およそ不十分であろう。 百歩譲って、教科に関する資質・能力はテスト等で見るから、それ以外の領域の資質・能力の評価をポートフォリオで補完するにしても、各事項の外形的な特質、例えば生徒会長を務めたとか県大会で優勝したといったことが、自動的に特定のスコアや価値判断に直結するような運用はあってはならない。それでは、経験としてのカリキュラムという本来の理念に逆行する。 同じ活動や事項であっても、その生徒のキャリア形成という独自な文脈における意味は異なるに違いない。むしろ、その点をこそ本人が一種の物語として豊かに、また個性的に表現することが重要である。そして、その表現の真実性と切実性を慎重に、また共感的であると同時に批判的に吟味することによって、「主体性」や「学びに向かう力」も含め、さまざまな資質・能力の適切で公正な評価が可能となるであろう。みを対象とした評価、③テストなど限られた方法や情報源による評価、④テスト得点から自動的に成績が算出されるなど、評価情報の解釈可能性の狭さ、⑤そのことも含め、教師が一方的に成績を確定する、といった特質がある。 ポートフォリオ評価ではこれらを改め、①生徒が評価情報収集の主体となる、②プロダクトに加えプロセスも評価対象とする、③作品などの成果物はもとより、構想や調査のメモ、討論の記録や写真など、多様な情報源による評価、④収められた評価情報をどのように解釈し価値づけるかについて、生徒が表現する機会や教師や保護者とコミュニケーションする機会が与えられる、⑤その結果、生徒も成績の確定に関わり、納得づくで成績を定めていく、などの特質をもたせてきた。 アメリカの高校では、学期末に生徒がポートフォリオに収めた多様な情報をもとに、創意工夫を凝らして自身の今学期の学びを印象深く個性的にプレゼンし、保護者と教師との三者面談を行うといった実践もなされている。 さらに、最終的な成績を定める「総括的評価」のみならず、プロセスにおいて学びをよりよいものにしていく「形成的評価」にも用いられてきた。具体的には、単元や学期の途中でポートフォリオを振り返る機会を設け、進行中の学びが予定通り順調に進んでいるかを点検し、今後どのように進むべきかを幅広い視野で再検討する、あるいは自身が当初目指したものは何だったかを確認するといった具合である。 これは、学びの現状をモニターし制御するとともに、なぜそのような学びとなっているのかの検討を契機に自身の在り方や求めているものを内省し、今後どのような学びを展開するのが、どのような意味で自身に価値があるかを理解し、意思決定する営みでもある。 このように、ポートフォリオ評価は、従来の評価が抱え込んでいたさまざまな限界を克服する。加えて、経験としてのカリキュラムの考え方に立脚し、そもそも学ぶこと=生きることであり、個々人のキャリア形成、すなわち自らの人生をどのように生きるか=学ぶか、さらにその営みをどのような意味として解釈し表現するかは、個々人の意思と能力に託されるべきとの理念を、画一的・受身的になりがちな学校教育において維持し、展開する強力な道具立てでもある。入学者選抜におけるポートフォリオ学校と教師はポートフォリオをどうとらえ活用していけばよいか奈須正裕(上智大学 教授)372018 JUL. Vol.423

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