キャリアガイダンスVol.426
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ませんでした。 ですから、高校で受験勉強に専念し過ぎると、伸ばすべき時に資質・能力を伸ばせず、進学先で苦労する可能性があります。事実、私は大学で、内に秘めたものはあっても自分を表現できずに、見殺しになっているとおぼしき学生を目にしてきました。そうした子たちの学びと成長をどう支えるかが、私の今の課題であり、日本の教育の課題でもあります。 高校の先生方としては「生徒のなかには小中での積み上げがなく、高校からコミュニケーション力や探究心を伸ばそうにも難しい子がいる」と言いたいこともあるでしょう。これはそのとおりで、高校現場は確かに下からのツケを回されています。例えばしゃべれない子を小中の先生がさわらずにきた場合、高校で劇的に話せるようになるケースは稀です。 ですが、そうした生徒の「主観的成長」を促すことはできます。高校3年間の学習を通して、客観的評価としてはコミュニケーション力や探究心が低いままでも、本人が一歩でも「成長した」と思えるように支援するのです。野球に励む生徒が、実力的にプロはもう目指せなくても、練習のなかで自分の成長を感じ、自信や達成感を得るのと同じように。その成長は間違いなく前進なんです。 毎年足を運んでいる高校で、グループワークに全然参加しない1年生を見かけたことがあります。先生に尋ねると「彼女は話すのは無理なんです、でも成績は良いので進学できます」と。いや、それでは本人が困るのだとお伝えしました。その彼女とは、3年生になったときに授業で再会できたのですが、ドキドキしながら見ていると、ペアワークで隣の子とちゃんと会話をしていたんですよ。 実はこの話には続きがあって、その子は特定の子とは話せるようになったものの、元気な子と組むと萎縮してまだ話せないそうです。でも、彼女は逃げずにここまできた。この先もしんどい局面はあるでしょうが、前に進んだ彼女であれば、大学でも積み上げていけますし、そうした子たちをどう社会につなげていくかを考えるのが大学の課題になります。 学校で学習し社会で仕事や生活をするようになるまでのトランジション(移行)に、これほどの課題があるなかで、私は「学校教育」と「人の発達」をバラバラにせず統合する理論や実践を、それぞれの現場に関わりながら模索したくなりました。 2018年秋に、京都大学教授を辞し、桐蔭学園トランジションセンター所長・教授に着任した一番の理由がここにあります。桐蔭学園は、幼稚部から小学部、中等教育学校、中学校、高校、大学まである学校。ここを拠「この子は無理です」ではなく一歩でも成長を促したいのです一歩でも前に進めるよう生徒の主観的成長も重視して幼小中高大の学びをつなぎ学校をハブに地域創成を182019 FEB. Vol.426
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