キャリアガイダンスVol.426
22/68
後だから仕方ないよ」と。この出来事が、西野先生の原体験となった。 「指導案よりも生徒一人ひとりを知ることが先だ、と痛感したのです」 北海道で正規採用されてからもその姿勢は変わらない。配属先は3年後に閉校が決まっていた道立高校。3年目に進路指導部長を任されると、最後の卒業生となる80名から進学や就職の希望、悩みを聞き取り、生徒が名を挙げた大学や企業は全部回った。すると企業回りで予期せぬ反応をもらう。面接指導の協力の申し出など、地元の生徒のために積極的に力を貸してくれようとしたのだ。 「地域の人たちの温かさが嬉しくて、ぜひ一緒にやりたいと思いました」 だがこの話は頓挫する。特定企業との連携は難しいとの学校判断だった。 生徒を社会に送り出す学校が、社会に属する企業と協働できない。西野先生は「学校や教員はどうあればいいだろう」と自問するようになる。そんなときに、札幌市に三部制・単位制・定時制の市立高校ができることを知り、同校の掲げた理念が目に飛び込んできた。「社会に近い、開かれた高校」 西野先生はこの高校でどうしても働きたくて、札幌市の教員採用試験を受け直すことを決心。見事突破し、市立札幌大通高校の教員となった。 創立時の学校はすべてが手探りで、「何をすればいいかもっと教えてほしい」と不満を感じたことも。だが先輩から「この状況をチャンスと捉えよう」と励まされ、腹をくくった。 一つ、抱いていた思いがあった。 「進路の話をすると生徒が暗くなるんですね。身近に憧れの大人がいなくて目指すものもなく、社会に出るのを不安がっている。もっと生徒が『社会でこうしたい』と楽しく話をできないか。そのために何が必要か考えたとき、生徒が地域の大人と一緒に『多様な価値観にふれ』『疑似ではない本物の体験ができる』場をつくりたいと思ったのです」 そこで地域の大人とつながろうと、地元の異業種交流会に飛び込んだ。関心を寄せてくれた企業の社長やNPO代表を学校に招き、生徒も交え議論し、「何ができそうか」を一緒に考えた。最初の一歩は、有志の生徒と大人による地域のごみ拾いから。 大学卒業後、期限付き教諭として昼間定時制高校に勤務した西野功泰先生は、最初の授業で大失敗したという。指導案を練りに練って臨むも、一番前の生徒が注意してもずっと寝ていて、気になって大崩れしたのだ。 授業後、別の生徒が教えてくれた。「あの子は新聞奨学生。朝の新聞配達指導案を作り込む前に生徒理解が必要だと感じた手探り状態をチャンスと捉え地域の大人や生徒と一緒に企画西野功泰先生札幌大通高校(北海道・市立)商業科・情報科教諭北海道立高校の教員を経て、2008年より現職。2012年から教育を実践し省察する福井ラウンドテーブルに参加、2015年には札幌ラウンドテーブルを立ち上げる。2018年、福井大学連合教職大学院入学。地域の人との打ち合わせは、今の西野先生には日常のこと。写真は道内の高校生を参加対象とした「高校生チャレンジグルメコンテスト」の実行委員会。2Story取材・文/松井大助自ら地域に飛び込むことで社会と生徒をつなぎ、大学院で実践と理論をつなぐ生徒が本物の体験をする場を地域の大人と一緒に企画・運営。社会の共創を目指すように222019 FEB. Vol.426
元のページ
../index.html#22