キャリアガイダンスVol.426
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従い、簡単に意見を変えるような教師を子どもは尊敬しません。 反対に、学校や地域が抱えているさまざまな問題に対峙して、保護者や社会をハッとさせるような成果を上げている例も少なくありません。ある中学校で校医を務めていた医師の話です。 「自分は、教員というのは誰にでもできるものだと思っていた。ところが、学校が荒れていたとき、新しい校長がやってきて、一年間で静かな良い学校に変えたのを見て、これは誰にでもできることではない、と教員の専門性を認めざるをえなかった」 こういう力量を示してこそ、教育者としての尊敬が得られると思います。今後は、自らそうしたモデルとなって、社会全体の雰囲気を変える役割も果たしてほしいと思います 先生方に元気を与え、励ましたいのは山々ですが、教育を論じることが空しくなるような世相ないし政策の渦中にあることを実感している私としては、未来に「希望」が開けていると安易に言うことはできません。 特に、今の若い人たちは、権力のもつネガティブな部分に無自覚であり、政治や社会問題に対して、おかしいこ実です。人物本位ではなく、学歴を物差しに人を判断する多くの親の意識こそ改善されるべきですが、現実に、親が尊敬していない教師を、子どもが尊敬するとは思えません。今後一層、教員養成の在り方が議論されるべきです。 また、責任をすべて学校に押しつける保護者や社会の意識も問題です。本当は親にしてもらいたいこと、叱ってほしいことを、学校の先生がしても子どもにとってありがたみは半減。公教育以上に私教育に対する手当てを厚くし、双方の連携が図られるべきだと思います。 このような、一教員では如何ともしがたい社会構造があるわけですが、状況を少しでも好転させるためにも、まずは先生方一人ひとりが教師としての自覚や矜持をもつこと。繰り返しますが、少なくとも、周りに唯々諾々としい発展であり進歩。教育者としての醍醐味もそこにあると思います。 では、自立心を養うために、学校現場では何をするべきでしょう。第一は、これまでよく見られたように子どもたちを客体ではなく、主体として扱う場面を増やすことです。誰かに指示され、決められ、評価されるばかりではなく、自分で考え、決断し、評価する機会を増やす。 そういう点では、アクティブラーニングやPBL、探究学習などは、学習の在り方として望ましいことだと思います。ただ、その際、教師に促されるままに、受け身的に授業が展開されては意味がありません。生徒のもつ潜在的な能力が、より能動的に発揮できるような自由な場を保障することが教師の役割だと思います。 もう一点、子どもの自立を促す効果的な方法は、先生自身が自立した姿を見せることです。教師が、きちんとものを考え、自分の言葉で語る姿を見たとき、子どもたちは「あのようにならなくては」と思えるのです。 やはり、生徒にとって先生は、人生の先輩としてのモデル。学ぶべきものを体現しているという点で、先生の活動そのものがカリキュラムなのだと言っていいと思います。 かつてと比べ、教師に対する視線が厳しいことや、教師が置かれた立場が弱いことはよく理解しています。 例えば、保護者も含めて社会全体が高学歴化するなか、相対的に教師の社会的地位が低下していることは事生き方のモデルとして自立した姿を見せてほしい取り巻く問題が多いからこそ教師としての力量を示して複雑で厳しさを増す社会。そうした認識自体が問われる先生は人生のモデルであり、活動自体がカリキュラム。教師としての矜持をもって322019 FEB. Vol.426

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