キャリアガイダンスVol.428
52/66

究学習とは異なります。内なる強い動機に結びついており、起業に近しいものがあります。創業当時のカタリバに似ているのです。 こうした潮流の背景にはスマホの普及や東日本大震災などマクロな社会の変化がありましたが、ミクロな源流として注目したいのが「日本高校生学会」の存 2010年といえば、Twitter高校生「うめけん」が「〜なう。」という流行語大賞を受賞した年であり、女子高校生「みさき・ひびき」がクラウドファンディングを呼びかけ渡航費を調達し、キューバに写真を撮りに行った年でもあります。翌年には被災地支援の「Teen for 3・11」や途上国支援の「HOPER」、主権者教育の「僕らの一歩が日本を変える」(写真下)が誕生します。まさに同時多発的に、高校生たちは社会課題の現場に飛び込み始めました。 高校生団体を特徴づけるのはこのような点です。①学校の枠を超えた自主活動②SNS等での活発な発信③協賛金や寄付などでの資金調達 その在り方は、学校における部活動や探たちは詰め込みではなく、やらされでもなく、対話と創造に満ちた主体的な場を欲していました。 つい親や先生を批判してしまうこともありました。受けてきた愛情を想像するには若すぎたのでしょう。なつかしいような恥ずかしいような気持ちです。 やみくもに走りながら大学生が「自分たちが高校時代ほしかったもの」を形にしたのがNPOカタリバでした。 大学生にできることは、高校生にだってできるかもしれません。あるときから東京では、学生団体ならぬ「高校生団体」が台頭し始めます。その変化は2011年の東日本大震災前後に起きました。 NPOカタリバは2001年に大学生がつくった団体です。今でこそ従業員130人が勤務する認定NPO法人となりましたが、創業当初は法人格もなく学生団体のようなものでした。とんでもなく貧乏でしたが、熱気だけはありました。学生でも教育を変えることができる、その熱に仲間を巻き込みながら誕生しました。 その中の一人が学生時代の私です。当時のカタリバは、六本木交差点からすぐの廃校跡地の教室を事務所にしていました。あそこで未来を語り合った日々は、私の青春です。 あのころ語ったのは、教育を受けてきた当事者としての切実な要求でした。私認定NPO法人カタリバパートナー今村 亮1982年熊本市生まれ。東京都立大学卒。創業期からのディレクターとして、カタリ場事業、カタリバ大学、中高生の秘密基地b-lab、コラボ・スクールましき夢創塾、全国高校生マイプロジェクト事務局を手がける。文部科学省熟議協働員、岐阜県教育ビジョン検討委員会委員を歴任。2019年に独立し、桜美林大学で「ディスカバ!」立ち上げ中。慶應義塾大学にて非常勤講師を兼務。共著『本気の教育改革論』(学事出版)。ほしかった教育を大学生が作った震災前後に台頭した高校生団体みなと六本木ハウスにあった時代のカタリバ事務所(2004年10月)創業期の「僕らの一歩が日本を変える」(2013年)文部科学大臣賞の栄冠をかけて全国190校から562プロジェクト2717人が探究の実践を発表する全国高校生マイプロジェクトアワード。審査基準に「主体性=オーナーシップ」を位置付ける背景には、東日本大震災以降に加速した高校生団体という新しい潮流がありました。522019 JUL. Vol.428

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る