キャリアガイダンスVol.429
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デュアルシステムの導入を検討したときは、反対者も含めて準備委員会の委員を募ったことが奏功しました。そこにも懐の深さがありました。実際、「管理職だけでよからぬことを勝手に決めようとしているのでは?」と思い、プランに反対していた先生も参加したのですが、デュアル実習を通して変わっていく生徒や、応援してくれる地域の人たちの姿を目の当たりにするなかで、「これは生徒のためになる」と理解を示し、その後の学校改革の中心人物の一人となりました。そんな風に生徒を大切にしつつ変われる先生はとても素敵だと思います。 しかし、現場では今、時間がなさすぎて、皆でじっくり話し合う機会はどんどん削られています。上から下に流れていくライン型の組織においては「もう決まったんだから」となりがちですが、目標を一緒につくったり、「やはり、これは大事だね」とコンセプトを確認したりするプロセスはとても大切です。 松原高校の最大の特色は「人間と社会の限界性」を教育の中心に据えているところだと思っています。人間の限界性とは、「できない」こともあるのを大事にする組織風土がありました。肩幅の狭さとは、介護や子育て、体調など、教員が抱えるしんどさのこと。そのため業務負担を軽減するなどして互いに支え合うのです。生徒のしんどさに向き合う学校はあっても、教員のしんどさに向き合う学校がどれだけあるでしょうか。 加えて、管理職を中心に、「この人は、こういう人だから」といった見切りをつけることをしません。そうではなく、どうすればそれぞれが生き生きできるかを大切にしていました。人の可能性を信じているのです。 そうしたなかで大きな役割を果たしていたのが当時の中堅層を中心としたコーディネーター型の教員です。人権教育の担当者が、学年、教科、分掌を越えて、教員間の横のつながりや地域との関係をつくっていました。異動も多いなか、複数担任制と相まって、学校文化を守る役割を果たしていました。 易先生が府立布施北高校に異動し、が人であるという、ごく普通のことに気づく人間観のこと。しかし、今の教育は、どれだけ「できる」かを競わせてばかり。グローバル社会への適応や経済的な文脈で語られると、その傾向は一層強くなります。また、社会の限界性とは、社会は必ずしも良いわけではない、過ちもあるという、これまた当たり前の捉え方。だからこそ、より良い社会にするための「異質な他者とのかかわりを大切にする主体としての学び」が必要なのです。生産性を高めるために教育があるのではありません。適格者主義に陥いることなく、「できなさ」「わからなさ」を軸に、生徒の現実から出発し、弱さと向き合い、認め合い、他者を通して自分を変えながら、主体となってより良い社会を構築していく。そうした市民を育てることこそ教育の目的。そこに軸足を置いてこそ、学校改革は持続可能なものになると思います。 松原高校の先生方は一人ひとりの生徒をエンパワーすることも上手です。機械的に何かをさせるのではなく、生徒自身が気づき、生徒同士が互いの関係性のなかで学ぶことを大事にしています。エンパワメントというと、力づける、力を引き出すといったイメージがありますが、弱さも含めて自分や他者を受け容れ、「弱い主体=人間」答えは生徒が出してくれる。学校改革には、社会を変えるポテンシャルがある生徒の「できなさ」社会の「いたらなさ」を出発点に202019 OCT. Vol.429

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