キャリアガイダンスVol.431
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面目で人見知りな子どもだったという山路さんは、高校1年生の必修科目「情報」で「店舗と交渉し、商店街の活性化につながることをする。条件は1人1店舗」という課題に面食らった。授業ではメールでのやり取り、振り返りや発表などにICTを使い、地域とのつながりの中で学んだ。 「嫌々出かけて、商店のチラシやWebサイトを作っても成果が出るわけではなく、夏の終わりまでやらされ感しかありませんでした」。それが変わったのは、10月に有志を募って開催したハロウィンイベントのメンバーになったことからだ。「まちの人が私たちの意見に真剣に対応してくれました。何でも言い合えたし、大人もカンペキちゃうねんな、高校生の私たちも一緒に考えていくことができる、と思えたんです」。 2年生で別の商店街でのイベントに取り組んだときにも気づきがあった。「チャラくてやる気ない、って見ていた同級生が、クレープ屋をやりたいといつの間にかどこかから機材を借りてきたんです。それが売れて。そのとき、人間の力ってすごい、って思いました。人はそれぞれやりたいこともアイデアももっている、それをどう引き出せるかなんです」。人とまちの面白さに目覚め、3年次には1、2年生のアドバイザーとなった。専門学校進学志望だったが、地域や社会に関わることを学びたいと大学進学に変更。追手門学院大学社会学部進学後も地域活動に勤しんだ。 最初に就職したのは、市立図書館「ことば蔵」で市民の持ち込み企画を実現する仕事だった。その後、中間支援NPOを渡り歩く中でも一貫して、やりたいことがある人を支援する仕事を続けた。「人には可能性がある。人とまちを盛り上げたい」という想いは、今、運営に携わる情報発信サイトの立ち上げにもつながった。 卒業した後も14年間に渡って母校のプロジェクトに関わる中で、高校生と伊丹のまちが共に成長する姿をみてきた。「プロジェクトで芽が出た子たちは、それぞれの場所で自分の実現したいことをやっています。柔軟な時代に大人に叱られて、立ち直る経験をしていれば簡単に挫折しない。いろんな大人を見てるから、困ったときに他の方法を考えられます」 きっかけは強制的にまちに出された授業だった。「社会をつくるのは行政の仕事だと思っていました。でも、大人も子どももそれぞれが自分の持っているものを持ち寄ることで、社会は変えられる、自分たちのつくりたい社会をつくることができる。そう実感できたのも、一歩踏み出すことができたのも、必修の授業があったからです」ホンマに社会は変えられるんやと授業があったから実感することができた山路由花さん(31歳) 兵庫県伊丹市立伊丹高校卒echo fields(エコーフィールズ)創業準備中真1988年生まれ。高1の必修科目「情報」で商店街活性化プロジェクトに取り組み、追手門学院大学社会学部進学後もボランティアや母校の「伊丹育ちあい(共育)プロジェクト」スタッフとして活動。卒業後は中間支援NPOなど、市民活動支援を仕事にしてきた。現在は伊丹の仲間たちと、まち情報の発信をするWebサイトITAMI ECHOの運営や、会社創業に向けて活動中。(右)高校生の付き添いで参加したことをきっかけに、スタッフになった音楽イベントITAMI GREENJAM。(左上)ハロウィンイベントは、関西圏の大学生も高校での準備から参加するようになった。(左下)伊丹市立市民まちづくりプラザ旧運営メンバーと。【伊丹高校 伊丹育ちあいプロジェクト】 2015年5月号http://souken.shingakunet.com/career_g/2015/05/2015_cg407_40.pdf取材・文/長島佳子(Story1,3)、江森真矢子(同2,4)102020 FEB. Vol.431
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