キャリアガイダンスVol.432
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「人はなぜ、ワークショップに来ないのか」。この問いが、私が教育に関心をもつようになったきっかけです。建築家として公共の施設や空間のデザインに携わるなかで、行政の担当者だけでなく、実際にそれを使う地域の人たちの声を聞きながら作っていきたいと考えるようになり、地域の人を集めてワークショップを開催するようになりました。でも、そういう場には、ほんの一部の人しか参加してくれません。来ないのには何か根本的な理由があるのではないかと考え、辿り着いたのが、「自分が行っても、どうせ何も変わらない」という不信でした。 では、なぜ「自分たちの力で社会を変えられる」と思えないのか。自分のことを振り返りつつ突き詰めて考えると、学校がそうだったんです。生徒会などでなんだかんだと話し合って提言しても、結局、学校の方針は変わらない。誰かが決めた制服を着て、誰かが決めた規則に従って、自分たちではそのルールを変えられる気がしない。学校教育を通して、「どうせ無理」と諦めてしまうマインドを無意識のうちに育てていて、そういう環境で育った人たちが社会を形成している。学校教育が変わらない限りこの状況は変わらないだろうと、強く感じるようになりました。 学校の主人公は生徒です。ところが、脇役であるはずの先生が「学校をどうすればいいか」と真剣に考え、あれこれと努力して、挙げ句の果てに疲れ切ってしまう…というのが現状です。本来、学校は主人公である生徒がどうしたいかを考えながら作り上げていくものであり、そこは思い切って放棄していいと思うんです。先生の役目は、生徒が考えたくなるような環境を作ること。自分たちで意思決定する、合意形成する、学校はそういう民主主義の練習の場であるべきだと思います。 また、「教育=教えること」「学校=教えてもらう場所」という根強い固定概念が、子どもの主体性の伸長を妨げているとも感じています。ある大学の非常勤講師を務めていた際、「何を学ぶかを自分たちで決めて、それをやる」という方針で授業をしたことがあるんです。学生からは、「昼寝がしたい」とか「何もしたくない」とかいう声が挙がったので、最初のうちは本当に何もしない時間もありました。すると、5回目くらいになると、「あの先生は何もしてくれない」と学生が言い出したんです。先生から何かを教えてもらうのが学びだと完全に受け身になっていて、自分たちから湧き上がる「やりたいこと」がない。何かを変えないといけないなと、このとき身をもって感じました。 地域の人にせよ生徒や学生にせよ、参加者を「アクティブ」にするには、安心して語ることのできる場が必要です。そして、ファシリテーターや先生には、コミュニティ内の人間関係をつなぎ直すことが求められます。場を作ったら、あとは待つ。互いの関係が深まり、場が温まり、合意が形成されるまで、待つことが大事です。 今、学校教育の現場では、先生が気負いすぎ、真面目にやりすぎて、先生たちの間に「自分一人でやらなければならない」 「面白いことができない」「やっても何も変わらない」という空気が蔓延していると感じます。この閉塞感を打ち破るためには、いかに生徒に委ねるか、生徒を外に出すかが重要です。「ちょっと行ってこい!」と地域に生徒をポンと放り出す先生がときどきいるんですが、それくらいでいいと思うんです。何より、地域コミュニティにとっては、高校生の存在自体が未来であり希望です。ぜひ、高校生には地域に関わり、一緒に社会を創るという経験をしてほしいと思います。 これから日本の人口はどんどん減っていきます。経済規模も縮小するでしょう。しかし、歴史的に見れば、日本の人口がこれほどまでに増えたのはここ70年のことで、それ以前は少ない人口でも力を合わせて生きてきました。私は、縮小に抗うのではなく、縮小するけど充実していく「縮充」の社会を形成していくことが重要だと考えています。かつての日本社会のように、みんなで協働して事を為すことのできる状態に還る。そのためのカギを握るのが教育です。偏差値で測れる部分はAIが担うことになるこれからの時代、私たち人間に必要なのは、人とつながっていく技術です。何かをしてもらうのを待つ人ではなく、人とつながりながら自分で何かを為す人、何かを生み出す人を、一緒に育てていきましょう。学校教育が生み出してきた「どうせ何も変わらない」学校は教えてもらう場所?学校の主人公は誰?人とつながりながら自分で生み出せる人を育てたい取材・文/笹原風花 撮影/秋山昌輝312020 MAY Vol.432

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