キャリアガイダンスVol.432
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取材・文/石井栄子 撮影/坂本ひろし 30代半ばの頃、パソコン通信サービス会社の経営に関わったとき、不登校児のBBS(電子掲示板)に関心をもちました。当時、不登校児といえば、社会からの落伍者と見る人たちがいました。しかし、彼らがBBS上で、世の中の社会問題について非常に高いレベルの議論を闘わせている姿を見て、衝撃を受けました。「彼らは、通学はできていないけれど就学はできている」と。こんなに優秀な子どもたちが学校に行けず、落伍者のレッテルを貼られているのは、社会的にも大きな損失ではないか。その時から、教育に強い関心をもつようになりました。 その後、アメリカの教育現場を視察し、再び衝撃を受けました。アメリカには不登校という概念がない。なぜか。フリースクールやホームスクールなどのオルタナティブな選択肢が一般化していて、普通の学校教育になじめない子どもが、学校以外の場で学ぶ権利が確立されていたのです。 日本でも不登校の子どもたちが帰属し学習できる環境を創れないか。誰もやらないなら自分がやろうと決意し、1997年に「インターネットハイスクール風(Kaze)」を開校したことが、20余年にわたる学校運営の始まりでした。 「風」に続き、通信制高校「東京インターハイスクール」、「美川特区アットマーク国際高校」を設立し、2009年には発達障害生徒に特化した明蓬館高校を開校しました。 2007年ごろから発達障害という言葉が聞かれるようになり、時代のニーズが高まっているのを感じていましたが、東田直樹さんが2008年にアットマーク国際高校に入学したことが、明蓬館高校を開校した直接のきっかけです。東田さんは自閉症ですが、詩やエッセイなどの執筆活動で世の中に知られつつありました。しかし、地元の公立高校では自閉症を理由に受験を拒否され、当校に来たのです。自閉症の生徒をお預かりするのは初めてで、どのような体制を整えればいいか、どんなサポートが必要かわからない。生徒から、そして保護者から学ぶしかなく、すべてが新たなチャレンジでした。ヒントになったのは、初登校時に東田さんから送られてきた「自閉症の僕からのお願い」でした。特別扱いしない、普通に接するなど、東田さんから多くを学びました。 日本の学校の多くは、発達障害の子どもを“困った存在”だと思っている。私は“宝の山”と考えています。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスも発達障害でした。私の知る範囲でも、革新的な起業家には発達障害やその傾向がある人が多い。毎年、新入生が入るたびに我々の職員室で飛び交う言葉は「あの子はどう化けるかな」です。 人とは違う個性や、特異な能力(スペシャルニーズ)をもった人たちを排除するのが日本の学校です。だからせっかくの才能がつぶされていく。 日本の学校が、多様化する生徒のニーズに対応し、イノベーティブな人材を輩出していくためにはどうするか。大きくは二つあると思います。 一つには、外部のさまざまな専門機関と連携すること。明蓬館高校で得た一番の気づきは、学校は学習ニーズだけでなく福祉ニーズ、医療ニーズにも応えなければならないということ。しかし、すべてを学校で対応するのは不可能です。先生がひとりで授業も生徒指導も部活動も引き受けなくていいんです。学校では持ちえない資源を地域社会に求め、連携し、チームで生徒を育てていくことが、これからの学校には求められるでしょう。 もう一つは、学校が生徒にとって安心安全基地となること。そのために教師に必要なのは上から目線の指導力ではない。生徒を理解・承認・傾聴することです。そうすれば、生徒は安心して個性を伸ばし才能を開花できる。そういう教師が評価されるように学校も変わってほしいと思います。不登校児の能力の高さに衝撃を受けたせっかくの才能をつぶさない学校にするために発達障害生徒のための高校を開校322020 MAY Vol.432
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