キャリアガイダンスVol.432
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次第に疲れ、目をつむるようになる。 「規則に慣れておかないと社会で困る」という意見もありますが、むしろ困るのは、自分で考え、判断することをやめ、無批判に人の指示に従うようになることでは? 今、目指している教育のあり方と逆行しています。 私は先生方に、「なぜ?」「理由は?」と問い続けました。そうして5年かけて理不尽な校則は全廃されました。―寝ていても怒らないなど、授業のあり方についても、一石を投じました。 発達段階から考えても、子ども自ら意見を言えることは大切なんです。ですから授業がつまらないなら「つまらない」と言っていいし、寝てもいい。 教室に入ることをためらう不登校「いいですね」と言ってくれるのです。 一方で従来の教育を良しとする人は、「校則がないなんてけしからん」などと頭ごなしに批判してきます。 校則はなくしましたが、学校も社会である以上、法律は適用されます。いじめは傷害だし、万引きは窃盗。警察とも連携します。生徒が器物を壊したら、故意でなくとも弁済を求めます。毅然とした態度をとることで、保護者も納得し、安心もされるんです。 いずれにしろ、どんな批判にも動じないのは、子どもたちが味方になってくれるから。生徒の評判が良ければ保護者をはじめ、応援団も増えていきます。仮に、評判が悪ければ、何かが間違っているんでしょう。あくまで子ども中心主義。決して私の恣意的な教育を押しつけてきたのではありません。―生徒の評判は、表面的な優しさや楽しさにも左右されませんか? 子どもたちは大人をよく見ていますよ。威圧的なタイプはもちろん、生徒に媚びるような先生も見透かされます。反対に、信用されるのは、生徒に向き気味の生徒は、職員室前の廊下を居場所とすることも認めました。すると、「なんであいつだけ」という不満をもつ生徒も現れます。そのため、特定の生徒に配慮する際は「君たちもいいんだよ」と全員に認めるようにしました。 そうやって誰一人特別扱いすることなく、「自分は自分でいいのだ」という体験をさせる。それがあるからこそ「みんな違っていいんだ」という思いやりの心も生まれてくるんです。―取組が外部に紹介されるにつれ、反響も大きくなっていったのでは? 多いのは「嘘だろう」というもの。校則をなくしたら学校が落ち着いたということが信じられないのでしょう。でも、見学に来ると納得されますよ。確かに、自由と好き勝手を混同しがちな1年生の教室は無秩序にも映ります。けれど、課題意識をもつ教育関係者は視点が異なります。その後ろにいる、叱ることなく、時間をかけて生徒と向き合う先生の様子を見て、合う先生です。そういう教師は、生徒のわずかな変化も見逃しません。 全員を見取ることが難しくても、まずは興味をもった子でいいので、とことん向き合う。すると見る目が育ち、他の子にも同じように広げられます。結局、みんな同じなんです。真面目な子だって、よく見ると荒れているし、不満を抱えていることがわかる。逆に言うと、一人の生徒を見られない人が、全体を見られるわけがありません。―何が西郷先生を突き動かしてきたのでしょう。原点を教えてください。 人付き合いが苦手だった私が教職に就いたのは、オイルショックの影響で工学系の採用が縮小されたから。「いい大学を出て、いい会社に入れば安泰」という時代であり、しばらくは教員であることを隠していました。 そんな私が変われたのは、最初に赴任した養護学校での体験です。こんな子たちがいたのか、と自分の視野の狭さに気づき、生きていること自体、素晴らしいことだと感じた私は、子どもたちと話すことで素直になれました。 その気持ちに拍車をかけたのが次の赴任先です。荒れた学校でしたが、地域の困窮など、荒れの原因も知るな子どもたちの評判がすべて嫌だと言っているならそれは失敗批判に動じることがないのは、生徒が味方になってくれるから養護学校と荒れた学校が原点大空小の中学校版になる決意未来の学校は“今日”の中にある「それは本当に子どものため?」から始まる学校改革92020 MAY Vol.432

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