キャリアガイダンスVol.433
23/64

 授業時数の確保もままならない状況では、「何をもって学びを保障したと言えるのか」といった議論になることもあるでしょう。そのとき、心に留めておきたいのが「修得主義」の発想です。これは算盤や水泳の進級試験のように一定の基準をクリアすれば良しとする考え方。ただし、それだけでは「過程は問わないのか」「技能の獲得ならいいが、授業の意味ってそれだけなのか」という指摘にも表れるように、学びが矮小化される恐れもあります。 対して「履修主義」とは、一定時間、授業を受けたり学校生活を送ったりすれば進級を認めるという発想です。先に触れたように、つながりの中で学びを実現するという日本の学校教育がもつ豊かさはあるものの、形骸化すると、授業をすること自体が優先されかねません。「遅れを取り戻すため、とにかく授業を進めないと」という今の先生方の焦りは、こうした考えから来ているのでしょう。今回、まさにここが問われていて、中身を重視する修得主義に寄せつつも、つながりを通じて豊かな学びを保障することが、求められているのだと思います。 今後、考えられる第2波・第3波や、分散登校を考慮すれば、遠隔での授業を一時的なものと捉えず、主・従の関係はあるとしても、ハイブリットでの運用を標準とせざるを得ません。 そのとき考えなくてはいけないのが、不安を抱えている子どもたちに、どれだけ寄り添い、学びをつないでいけるかです。「遠隔=オンライン」とは限りません。SNSがない時代にも遠距離恋愛があったように、電話だろうが文通だろうが、離れたところにいる誰かの心に寄り添い、つながることはできるわけです。宛名のあるやりとりを通じて、「学校の良さって、つながりの中で学びを生み出していくことなんだね」「つながりが学びを支えるんだな」ということを生徒、そして教師自身が再確認できればと願います。 オンライン授業という点では、既に存在する優れたコンテンツも活用しながら、要所要所で先生と生徒たちが共に過ごす機会をもつ。そうした心のつながりのある学びのシステムこそ、これからの教育基盤として必要だと思いますし、それは、学級をつくりながら授業をつくり、皆で学びを深めていくことを大切にしてきた、日本の教育文化の良さを再確認することにもつながるでしょう。 たとえコロナ禍が収束したとしても、揺り戻しの動きに流されることなく、休校中に感じたであろう「つながりたい」という想いを恒久化させていく。「学校とは何か」「授業とは何か」を問い続け、学びの在り方を考え続けることが求められると思います。 学びの当事者は誰かといえばもちろん生徒であり、この状況で生徒を子ども扱いしないことです。高校生であれば、学校や授業の在り方を一緒に考えていくこともできるはずだし、例えば「こういうことから始めようと思うんだけど、良いアイデアはない?」と持ちかけたならば、大人にはない発想や建設的な意見も出てくるでしょう。 教師の学びと生徒の学びは相似形。先生方の不安は、たちどころに子どもたちに伝播する一方、先生同士が積極的につながったり、新しいことに挑戦したり、学びを深めていったりすれば、生徒にも少なからぬ影響を与えます。 確かに学校現場は、リスクを取りづらい環境に置かれてきました。しかし、この状況に至っては、リスクを承知で挑戦することの方が、生徒から信頼されるでしょうし、そうした姿から多くを学んでくれると思うのです。先生方の挑戦を通じて、未来の学校は立ち上がるのだと信じています。教師の学びと生徒の学びは相似形「つながり」の中で、共に学びを生み出していくいしい・てるまさ●京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。学校で保障すべき学力の中身とその形成の方法論について理論的・実践的に研究。『今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影―』(日本標準)、『中教審「答申」を読み解く』(日本標準)、『授業づくりの深め方:「よい授業」をデザインするための5つのツボ』(ミネルヴァ書房)など著書多数。現在、京都大学大学院教育学研究科 准教授。修得主義に寄せつつも履修主義のもつ良さを維持する先生方の挑戦が生徒に影響を与え、未来の学校が立ち上がるつながりや宛名のあるやりとりから学びは生み出されていく生徒たちは何を思い、教師はどう動いた? そして、見えてきたもの授業、探究、地域連携… 学びを進化させる232020 JUL. Vol.433

元のページ  ../index.html#23

このブックを見る