キャリアガイダンスVol.433
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412020 JUL. Vol.433注3 :Social inclusion。社会的弱者を社会の一員として含め、支えあう考え方会問題全般に意識を向ける以上、人々の多様性やそこに潜む格差、格差と表裏一体の文化や環境の違いもすべて互いに密接に関連するからである。例えば、海外の研究では、これまで外国人(移民・人種含む)、性別(LGBT含む)、貧困層などの問題を検討してきた。 日本のキャリア教育・キャリアガイダンスとの関連で言えば、現在、日本社会の多様化に伴って、生徒自身およびその家庭が徐々に多様化している点が課題となる。外国籍・外国人の生徒、国籍と微妙に交錯する貧困、そこから派生する格差の問題が生じつつある。離婚率の上昇に伴い、シングルマザーなど複雑な家庭の事情をもつ生徒もいる。 では、こうした生徒およびその家族の多様化は、具体的にキャリア教育・キャリアガイダンスとどのように関連するのだろうか。 日本のキャリア教育はこの20年で学校のなかに確固たる位置を占めるに至った。学習指導要領に「キャリア教育」が明記され、学校教育のなかに明確な位置付けが与えられた。当然ながら、これは良いことであり、国全体の教育な平等や社会的な包摂注3へとつながる。キャリアガイダンスは、社会問題全般を解決する「社会正義」の実現に役立つ営みなのだ。 こうした議論を、当時の国際機関のキャリア支援に関する報告書は次々に提起した。そして、現在もなお、世界各国のキャリア教育・キャリアガイダンスの専門家が真剣に議論している。日本でも、キャリア教育・キャリアガイダンスには、本来、これほどまでに幅広い役割があることを、多くの人に知ってもらいたいと思う。 特に、「社会正義のキャリア支援」は、新型コロナウィルスによる大混乱のなかで、生徒の進路やキャリアの問題を考えなければならない今のようなときにこそ意味がある。というのも、そもそもキャリアガイダンスは社会的な大混乱のなかから生まれたからである。 キャリアガイダンスは、100年以上政策の一環として全国的にある程度、共通して行うべきキャリア教育が推奨されることには重要な意味がある。 問題は、そうして行われるキャリア教育は、どうしても学校のなかの多数を占めるごく一般的な「普通」の生徒を想定して計画され、実行されるということだ。日本社会の多様性が高まり、さまざまな事情をもつ生徒が現れている以上、大多数の生徒向けのキャリア教育から外れてしまう生徒が、どうしても生じてしまう。 結果的に、多数を占める一般的な生徒を対象としたキャリア教育から漏れ落ちた生徒には、一人ひとり個別に支援する必要が生じる。 実際、現在、日本では実に多様なキャリア教育が行われている。例えば、昨年の日本キャリア教育学会は長崎で開催されたが、例年にも増して、実にさまざまなキャリア教育の研究発表が行われた。目につくところを列挙しても、夜間中学、外国人、生活保護受給者、シングルマザーなど、多様な対象層のキャリア教育の実践が紹介された。 こうしたさまざまな実践は、むしろ前、ボストンの職業相談所で始まった。仕事にあぶれた移民や貧しい地方出身の若者が大量に押し寄せるなか、そうした若者に対する就職支援を公的機関で行った。もともと社会の矛盾のなかから、社会正義の実現を目指して立ち上がったのがキャリアガイダンスである。「社会正義のキャリア支援」論とは、この原点に立ち返ろうという主張でもある。今こそこの考え方が有益だという意味は、この点にある。 貧困や格差その他の社会的な問題で進路やキャリアが阻害され、不利益を被る可能性がある(あるいは既に被っている)生徒がいるのであれば、その生徒を手厚く支援する。家が貧しくて進学の道が絶たれそうであれば、奨学金などの金銭的な支援に関する情報を提供する。機会がなくて就職を十分に考えたことがない生徒には、その機会を与える。不安なことや心配なことがあれば相談に乗る。就職に自信がなければ、自信がもてるよう技術や知識を身に付ける方策を考える。 こうした取り組みが「社会正義のキャリア支援」ということになる。 「社会正義のキャリア支援」では、ダイバーシティの問題にも着目する。格差や貧困の問題を重視し、さまざまな社社会の多様化のなかで生じる少数派進路を見定めにくい生徒のためのキャリア理論と実践特別企画「普通の大多数の生徒対象」だけでよいのか

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