キャリアガイダンスVol.434
18/66

―今回の誌面では、探究活動や生徒会活動のように「自分の思いや課題意識をもって動く体験」がどんな学びをもたらすかを、生徒自身にお聞きしました。ただ、「主体的に動ける生徒は一部」との声もあり、実際、コロナ禍で先生のサポートが手薄になると、大半の生徒は日々の勉強も含めて停滞してしまいました。この落差をどう捉えればよいでしょう。 僕が幼い子たちを見ていて思うのは、生まれながらに主体性のエネルギーが弱いということは絶対ない、ということです。保育園児は、日々動き回ったり何かに没頭したりして、探究心をもって学んでいますよね。 ただ、今の大半の高校生が自分から動けないのは当然じゃないですか?小さい頃から「静かにしなさい」と行動を制限されてきたので。 社会が成熟した今は「決められたことをやるだけなく、自分たちで創造しないといけない」とよく言われますが、そのわりに中学校から叩き込まれるのは、古い社会の縮図なんですよ。「校則や上下関係を守れ」という。その前提にあるはずの「ルールや関係性はみんなで創り出すもの」ということはあまり学べません。―その話と重なるかもしれませんが、日本財団の18歳意識調査(※)によると、「国や社会を変えられると思う」という質問に「はい」と答えた若者は、先進国の中で最下位でした。 それが可能なのを「知らないだけ」ですよ。校則すら変えたことがないのに、社会を変えられると思うわけがない。だから、校則でも探究活動や学校行事でも、小さなことでいいので高校生が自分で何かを創り出す体験をもっとできるといいですよね。 とはいえ、特に地方では「難関国公立大学の合格」が先生や親から一番喜ばれることであり、その受験では「決められた教科を満遍なく勉強すること」が求められます。この価値観が今も強すぎるんですよ。 「決められたことをやる」ことを否定したいわけじゃないんです。それが得意な人はそれでいいし、答えのない社会になろうと、法律の運用や鉄道の運行など、決められたことをきっちりできる人の活躍の場はなくなりません。でも世の中にはシステムを守るより作り変えるのに向く人もいて、その「創造」と「運用」の役割分担で世界はまわると思うんですね。 にもかかわらず、これまで多くの学校は、校則遵守や受験のシステムに乗れない生徒を「問題だ」「できない」とみなしてきました。そうした生徒には「それもあり」と認めてもらえる他の選択肢がなかったんです。 だから、仮にこの先、今度は探究活動で自分からなかなか動けない生徒を問題視し、「できない」とするなら、僕はそれもおかしいと思います。「こうしなきゃいけない」「選択肢はない」という環境が、そこになじめない生徒から自信を奪い、自分には価値がないという思いを抱かせるんですよ。―では、探究活動や生徒会活動で、生徒がもっと自分を出せるようにしたいなら、どうすればよいでしょう。 先生が〝先生〞ではなくなることだと思います。「教える人」であり、答えを知っていて「評価する人」であるという。その存在にならないよう、「大人小さなことでも自分で何かを創り出す体験が生徒の可能性を開花させ、この社会を変えていく体験活動の課題の一つが、生徒の意欲の落差です。やらされ感満載の生徒や、戸惑っている生徒には、先生はどう接していけばよいのでしょう。「JK課」や「ニート株式会社」などユニークな取組で、多様な人と創造的なプロジェクトを進めてきた若新雄純さんにお話を伺いました。主体的に動けない生徒は自分の可能性をまだ知らない高校生を解き放つのは「共にやる人」と「多様な人」(※)日本財団「18歳意識調査 第20回テーマ『国や社会に対する意識』」より182020 OCT. Vol.434

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る