目はFeelingまで掘ってリフレクションする良い機会だと思います。 特に、探究のプロセスはリフレクションの素材に満ちています。例えば、最初に課題(テーマ)を決める過程です。「決める」という行為が生徒たちは苦手で、ここだけでもリフレクションするポイントがたくさんあります。チーム研究の場合、対話をしながら課題を決めていきますが、ここでまずズレが生じる。でも一つに決めなければいけないので議論をする。議論した結果、もし自分の案にならなかったとしても、決まったことにはしっかり貢献するという合意が「決める」ということです。リフレクションしながら進めれば「なぜあの人はこの案がいいと思ったのか」とか「あの人はあのときなぜこう言ったのか」を考えることができます。しかしリフレクションを怠ると「○○さんがやりたいと言ったから」と後でトラブルになることもあります。決めるプロセスで何が起きたかを、それぞれ考えることが大事なのです。 教科の授業では、私だったら、単元や定期テストなどの節目で「どういう勉強の仕方だったのか」「この単元で、何をどのように学ぼうとしたのか」の振り返りをすると思います。 さまざまな教育活動のなかで、繰り返し良質なリフレクションを積み重ねると、生徒たちは無意識にそのサイクルを回せるようになります。リフレクションは社会に出るための武器の一つと前述しましたが、教師が生徒に渡してあげられるものは、結局はそうした知的な方法論でしかないと思うのです。だからこそ、ちゃんと武器をもたせてあげたいですね。味があります。過去↓現在↓未来↓その先の未来へとつながっていく。だからリフレクションは「点ではなく線」で、線として意識して記録し、見える化していくことも重要だと思います。キャリア・パスポートやポートフォリオの意義も、本来そこにあるはずです。 繰り返しになりますが、リフレクションをする目的は、「反省」でも「確認」でもありません。 育てたい人物像は「リフレクションができる人」ではなく、「自立・自律して活躍できる人」のはずです。具体的には、「自分の解くべき課題を決めて、それを実行でき、自ら駆動できる人」であり、「何でも自分ごと化できる人」です。リフレクションは「自立・自律して活躍できる人」を育てるためのツールの一つにすぎません。でも、もっていると強い習慣です。リフレクティブな思考習慣をもっていることが社会で活躍していく上で武器になるはずですから、その武器を生徒にもたせてあげたいのです。 大学教員の私から見ると、ホームルーム活動、探究、行事、部活動など「経験」できることが満載の高校はリフレクションの素材の宝庫です。 例えば生徒間によくある「誰かとうまくコミュニケーションできなかった」ということも素材になります。リフレクションの対象を氷山に例えた図2の見方で考えてみましょう。 誰かといざこざが起こったときに、目に見えるDoingだけだと腹が立つけれど、相手のThinkingや、もっと深層にあるFeelingまで考えると、Doingの意味が理解できることがあります。そこからの気づきを基に、次にどうするべきかを決めればよいのです。 毎回のリフレクションでFeelingまでいく必要はなく、Doingだけでいい場合もあります。本人の人生に関わるようなときや、対人関係でのトラブル、つまずきなど、本人の心が動いた出来事があったとき、または行事などの節図2:リフレクションの対象を例えた「氷山モデル」高校の教育活動はリフレクションの素材に満ちあふれた宝庫です。コルトハーヘンの「氷山モデル」。リフレクションの対象を氷山に例え、目に見えている「Doing(行動)」の下には、言葉で捉えられる「Thinking(思考)」だけでなく、「Feeling(感情)」「Wanting(望み)」もあり、それらにも焦点を当てるべきという理論を表したもの。していること考えていること感じていること望んでいること教育活動の多様な経験がリフレクションの素材になる102020 DEC. Vol.435
元のページ ../index.html#10