もあります。リフレクションにも関わりますが、学習とは「目標を設定し、計画を立案、遂行し、自己評価したうえで、必要に応じて調整する」というある種のPDCAを回すことですが、それができない。通常、意欲と成績には相関関係がありますが、具体的な実行行為が浮かばない生徒の成績がふるわないことはよく知られています。 以上をまとめると、就学以降、経験的につくられてきた①十分努力しても、うまくいかない。②やるべきことが、できそうにない。③具体的にどうしていいかわからない。というビリーフ(信念、思い込み)に縛られてしまっているのが意欲の低い高校生の姿だと思うのです。 けれど、生まれつき無気力なわけではありませんから、学び直しは可能です。言うほどたやすくはなく、根気もいりますが、学習の仕方をきちんと教え、やればできるし報われるという経験を少しずつ積んでいく。そうやって先ほどのビリーフを①十分に努力すればいいことが起こる。②自分にもできそうだと思える。③具体的にどうすればいいかわかる。というものへと変化させていく。この三つこそ意欲の成分だと思うのです。―お話の中にリフレクションにつながる点が多くありました。意欲を発揮するためのスキルの一つともいえそうですが、先生はリフレクションをどういうものだと捉えていますか? 心理学の分野ではリフレクションとい報われることが減り、人と比べられることが増えることも原因です。確かに勉強にしろ運動にしろ、がんばれば上達します。けれど、他の子も同じようにがんばれば相対的な位置関係は変わりません。これは発達段階にある児童・生徒には酷。だから相対評価をやめ、規準準拠評価や個人内評価なども取り入れるようにしたのです。 一方、努力が報われる場であったとしても落とし穴があります。一つは、求められる努力の水準が高すぎるとき。例えば「一日10時間勉強すれば絶対に合格する」と言われ、真に受ける優等生がいる一方、「そんな努力は私にはとてもできない」という生徒はお手上げです。すればよいのかもしれないけれど「自分にはできない」と思い込んでしまうのもまた辛いものです。 さらに、やる気はあっても、どうやればいいかわからないという落とし穴を解決するには、認知や思考や知識を足場にした相応の訓練が必要です。 その意味で意欲は、情意に関わるものではあっても人格とは違います。だから、知識・技能や思考力等とともに学校で磨く必要があるというのが資質・能力論の基本的な考え方。人類の文化遺産である教科の内容を学ぶことで有能さを鍛えつつ、もともともっている意欲を損ねることなく、粘り強く、かつ自己調整しながら、さまざまな場面に適用できるようスキルを磨いていく。その辺りを今回「学びに向かう力」と呼び、学力論の中に位置づけたわけです。そのうえで、社会の中でよりよく幸せに生きていく、OECDでいう個人的・社会的ウェルビーイングや、持続可能な社会の実現へとつなげる。コンピテンシーベイスとは、そうした思想をもつ教育モデルだと思います。―ただ現実には意欲の低い生徒はいます。どうしてなのでしょうか? あふれる意欲も、小学校に入学し、2学期の半ばくらいから減退が始まるといわれます。小さい頃はやればできることが多かったのに、次第に努力が取材・文/堀水潤一 撮影/平山 諭目的は、効果的なモニタリングを自ら行えるスキルの獲得や習慣化意欲を学びに向かう力に変えるのはスキル。だから鍛えられるし学力に位置づけられる「学びに向かう力」を育むリフレクションこれからの教育活動を通じて「学びに向かう力」をどう育むか352020 DEC. Vol.435
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