キャリアガイダンスVol.435
36/66

う言葉はあまり使われず、「メタ認知」と呼ぶのが一般的ですが、基本的には同じこと。要は、自分の頭や心の中で起こっていることを、できるだけ豊かに正確に、常に把握できているかということです。人が何かをしているときって、対象に意識が向いていると同時に、もう一人の自分が頭や心の中を無意識にモニタリングしています。例えば本を読むとき、一文一文読み進めているわけですが、新しい文章が入ってくるたび、「これまでとの関係で、どのような新たな意味が投げ込まれているのか」などをすり合わせながら理解しているのです。「あれ、流れがわからなくなった」と感じ、読むのをパッと止められるのはこれが機能している証拠。反対に、筋がわからなくなったことに気づかないまま読み進めているとしたらモニタリングが効いていないわけです。 このように、頭の中を常に監視、制御し、躓きがあったなら、立ち止まって問題の所在を確認し、どうすればよくなるかを考えて修正する。こうした慎重な俯瞰的思考や、それに基づく調整プロセスが、学びにおいては強く求められるわけで、そのためのスキルを磨き、習慣化することが大切なのです。 このとき重要なのは、いかに少ない認知リソースで効率的にそれを行うか。人のもつ認知リソースには限りがあり、通常は目の前のタスクに集中する必要があるからです。例えるならバックグラウンドで常時起動しているソフトのようなもので、立ち上がっている必要はあるものの、そこにメモリを割かれ過ぎ、本来使うべきソフトが重くなっては本末転倒。しかも、それが過ぎると、試験中ならば答案用紙に、人との対話ならば相手に集中するべきなのに、自分にばかり意識が向き、「点数が悪かったらどうしよう」「相手からどう思われているだろう」と余計なことばかり考えてしまう。過剰なリフレクションは不安を生み出し拡大しかねないので注意が必要です。―では、そうした適切なスキルや習慣は、どうすれば育つのでしょうか? リフレクションというと、授業や単元の終わりに行う振り返りの場をイメージされるかもしれませんが、そうしたフェーズや、そこで行われる単なる教授行為と捉えてほしくはありません。あくまで目的はリフレクティブな生徒を育てること。ですから、訓練の場としての多様なリフレクションの場面があっていいのですが、「今日、何を学んだか?」といった単なる振り返りや確認作業で終わっては意味がありません。さらに、「自分はどのように考え、どんな風に理解していたか」という思考のプロセスや、そこで何をどう感じたかを振り返りたい。学び手としての自らの現状に関する気づきの場にすることが大切なのです。 ただ、そうした気づきが何もないところから湧き上がってくるとは考えにくいため、折に触れ「何のために」「どのように」といった明示的な指導が必要になります。「今日の授業をこのような視点で振り返るとしたら何か気づくことはない?」と水を向けたり、「今日の授業は、こういうことを目指そうと思う」と事前に目標やねらいを示したり。例えば、「今日は、鎌倉幕府の滅亡について学ぶけれど、以前、貴族から武士の世の中への移行についてやったときを思い出し、時代の変化という点から考えてほしい」など。すると、過去に得た知識を使いながら、「衰退の原因には共通点がありそう」「外国との関係でいえばここが似ている」という気づきがあるかもしれないし、「ならばあの時代はどうか」と別の場面に転移していくこともあるでしょう。 多くの生徒は、過去の授業と今の授業につながりがあることを意識していません。コンテンツだけ教え込むような授業をしていたらなおさらです。そうではなく、背後に通じている教科の見方・考え方を意識するような授業を行わなくてはいけないのです。 小学校の例で恐縮ですが、三角形の内角の和が180度であることを実感させるため、3つの角をハサミで切り、合わせる操作があります。四角振り返るべきは思考のプロセスや感情。そこでの気づきをどう次につなげていくか362020 DEC. Vol.435

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る