キャリアガイダンスVol.435
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うスキルや習慣です。そうして生み出された一人ひとりの質の高い物語と出会い、真似したり、いいところを認め合ったりしながら、新たな気づきとする。それも大切なリフレクションのあり方だと思います。―そうやってリフレクティブな子になると、どんな力が発揮されるようになり、未来が開けてくるでしょう? お伝えしてきたように、リフレクティブな生徒は、「今、自分は何ができていて、何ができていないのか」といったモニタリングができているし、以前の経験を別の場面に転移させたり、他者の語りから新たな気づきを得たりなど、高度に洗練された学習の自己調整が実行可能です。そのため困難を前に「こうすれば、できるはず」と前向きに捉えられるし、やる気だけが先走り「はやる気」に終わることもありません。impulsive(衝動的)な行動に走ることなく、思慮深く、かつ建設的にもなるでしょう。それがはっきりしたのが今回のコロナショックでした。未知の試練に対しても、冷静に自分を見つめ、多様な他者とも協働しながら、一人の主体としてやるべきことを行い、次の一歩を踏み出す。そうした自律した能動的な学習者=アクティブ・ラーナーの姿が各地で見られたし、そうなっていくことがますます求められるようになったと思います。 また、そうしたこと以前に、リフレクティブな子は慎み深くなると思いますよ。周囲に対する配慮ができる。それが同調圧力や、先に指摘したように「人からどう思われているだろう」という不安につながってはいけませんが、自分がどう振る舞えば、皆が気持ちよく暮らせるかを慮れるということは、道徳や美徳を超え、個人的・社会的なウェルビーイングにつながっていくでしょう。 冒頭、人間はもともともつ意欲や有能さを拡大していくと同時に、皆でよりよく生きていこうとする存在だと話しました。リフレクティブであることは、そうした人のもつ価値をさらに高めていくことにもつながると思うのです。形の場合は、2つの三角形に分けられることで、倍の360度になることを理解させるのですが、ここもハサミを使って実感させてもいい。けれど六角形や八角形になっても「先生、ハサミ」という児童が現れたなら、もう渡してはいけないのです。「四角形のときはどうしたっけ?」と問いかけ、「多角形は、三角形という基本図形に分けることで処理できる」という、その単元の大切な見方に行きつくよう促さないと。六角形でもハサミを使おうとする子は粘り強さはあるし、正解にもたどりつきます。けれど、前に学んだことを活かそうとしていない点では学習の自己調整ができていません。つまり「学びに向かう力」がまだ弱いのです。―そうした、さまざまな生徒がいるなか、どうすれば一人ひとりにあったリフレクションを促せるでしょう? 確かに、気づきや反応の感度は人それぞれ。特定の領域ではいろいろなことに気づいても、別の教科ではできにくい子もいます。教室の中は多様。だからこそ、誰かが発した価値あるリフレクションを教師が紹介し、皆で共有するといいでしょう。すると、「自分が感じたのとは違う意見があることを知った」という発見だけでなく、「私が気づいていなかったことをAさんが話したけれど、よくよく聞くと、私が感じていたことと似た点もあると感じた」なんてことも。知識の構造の変化に対する気づきが起こったのです。 こんなことを話す生徒もいました。「AさんとBさんの意見が対立し、どちらも一理あると思ったけれど、Cさんが二人のいいとこどりをした新たな意見を出したことで解決に向かった。そうした折り合いのつけ方があることを知りました」と。対立する2つの意見を、違う見方で捉えることで高次の価値が生まれるという発見。アウフヘーベンそのものです。 自分の中で起こっていることを、感情を含めて正確に把握したうえで改善につなげていく点で、リフレクションは、自分自身をどう物語るか、その語りの質をいかに良くしていくかとい価値あるリフレクションをシェアすることで新たな気づきを生む自分自身をどう物語るか。いかに語りの質を良くしていくかがリフレクションという行為「学びに向かう力」を育むリフレクションこれからの教育活動を通じて「学びに向かう力」をどう育むか372020 DEC. Vol.435

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