4Vol.435 別冊特集 これは、「ドライバーズ効果とも呼ばれる」と和田校長。 運転手は助手席の人より道を覚えやすいのは、脳は自分が主体者だと判断すると活動し、自分が主体者ではないと判断すると、OFFやスリープモードに入るようにできているからなのである。生徒を運転手にする、謝辞を言う人にする、つまり主体者にする授業が重要だというのである。 そして、もうひとつ重要なことはインプットとアウトプットをつなぐのがインテイクだということである。 「例えば私が今から30秒話すことを『どなたか耳コピーして繰り返してください』と言った場合、まったく同じことを言うことはできません。それは一度自分の脳を通して、聞いたことを再構成するからです。この再構成をするときに『どんなふうに表現しようか』と考えて脳が活性化し、自分の言葉で考え表現します。このとき知識が定着し、学力が向上します」 このように考えれば、単なる一方的な講義が中心の授業であったとしても、生徒が「自分ごと」にする、インテイクスイッチを入れさせる工夫は、容易に編み出すことができるのではないだろうか。 もうひとつの重要な示唆が、「本物の学び(真正の学び=Authentic Learning)」にある。 本物の学びとは、その授業を通じて世界の見え方が変わるような学びのことだと京都大学教育学研究科の石井英真准教授は言う。例えば高校の教科教育であれば、物理を学んだら物理学的に世界が見えるようになり、大学で経済学を学ぶと世界が経済学的に見えるようになる。そうした学びのことである。 しかし、多くの授業では、「わかりやすくするために教える内容からノイズを減らしていき、その結果、内容から醍醐味が失われています」と石井准教授は指摘する。 ここで言われているノイズとは、社会とのつながりのことだったり、考えるプロセスのことだったりする。そこを省略して結論のみを覚えようとするが、その省略された部分にこそ真正の学びへの糸口がある。 また、石井准教授はこんな例を紹介する。「運動系の部活で筋トレをするのは、試合で実際に闘うためであるはずなのに、現在の授業はまるで筋トレのための筋トレになっています。それでは子どもたちは実際の試合(ゲーム)の面白さや文化の厚みを味わえません。ドリルはしてもゲームをせず、本物を知らないままに学校を去ってしまっているのです」。 同様のことは英語学習でも顕著で、活きた言葉としてではなく、知識として英語を学んでいるだけだから、生徒や学生がこの社会で生きていくための能力につながっていない。そして、英語嫌いが英語でコミュニケーションすることからの逃避をもたらし、社会科嫌いが社会嫌いをもたらし、国語嫌いが本嫌いをもたらしている、のである。 「本物を味わえないがゆえに、経済学を学んでも経済に興味がもてない。ドキドキするおいしい部分を味わうことなく教科嫌いになっているのではないでしょうか」 そんな、学生や生徒の心も頭も動かない授業になっていないだろうか、と問いかける。 確かに、これでは学生や生徒の主体性が育まれる授業とはとても言えない。では、どうしたら本物の学びを実現できるのか。 「歴史の教師は教材研究をして、その結果をわかりやすく子どもたちに教えようとするけれども、教材研究のなかで教師が発見したプロセスこそ歴史の醍醐味であるはずだ。そこを子どもたちと共有していくことが重要です」と石井准教授。 そして、生徒や学生たちに生(ナマ)に触れさせていくこと、ノイズや文化の厚みに触れさせることこそが本物の学びを実現する道だと強調するのである。 もちろん、学生や生徒の主体性を育み、自律的学習者に育てていく道は、これ以外にもあるだろう。しかし、どんな方法を取ったとしても、「自分ごと」として考えること、生の現実や文化の厚みに触れることなくして、ドリルのなかだけで主体性が育まれることは困難であることだけは疑い得ないだろう。 ここでの示唆を発展させて、ぜひ多くの先生方に主体性を育む授業を編み出していただきたい。和田校長の「授業力向上フォーラム(青森開催、2020年8月)」 講演スライドより図3
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