キャリアガイダンスVol.436
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しい」ことを若者のせいにするのは酷です。そうさせているのは、「決められたことを、決められた通りに」という学びの下、自己選択や自己決定の機会をあまり与えず、チャレンジを後押ししてこなかった大人であるからです。正確に言えば、学制発布以降150年近く、皆で同じことを、同じペースで、出来合いの答えを教授しようとしてきたシステムの問題です。だからこそシステムをどう変えるかが課題であり、授業を探究型にシフトしていくという今の教育改革も、その流れにあると思います。そのうえで専門性を活かした探究支援をするためには、先生方自身が豊富な探究経験をもつ必要があるし、それには教員養成や研修も探究型に変える必要があるというのが私の主張であり、実践です。 これは実感でしかありませんが、欧米の親や先生は「あなたはどう考えるの?」「で、どうしたいの?」と常に問い掛けている印象があります。日頃からそう問われている人と、「いいからこうしなさい」と言われ続けてきた人とでは、主体性に差が生じるのは当たり前。私たちは意識して、「で、あなたはどうしたいの?」と問うことを習慣にするべきではないでしょうか。 そして、したいことがある若者に対しては、先人の言葉にもあるように、「やってみなはれ」とか、「YOU、やっちゃいなよ」と背中を押す。思えば、高度経済成長期は皆がそういうマインドになれたはずです。失敗したところで何とかなる時代でしたから。ところが縮小経済の下では社会全体が萎縮し、子どもたちにまでそうした時代のエートスを吸わせてしまっている。無理からぬこととはいえ、教育の世界だけは、そのような社会の毒素に満たされてはいけないと思うのです。教育委員会や管理職も率先して「先生、やっちゃいなよ」と言う余裕をもち、世間や保護者や子どもたち自身にも、そうした精神が広がっていく。そんな社会にしたいと考えています。ように学ぶかの選択肢を学生に委ねたり…。そうしたことを通じて気持ちの火のつけ方がわかってきたし、そうなってからの爆発力に目を見はりました。その点、可塑性の高い中高生の場合、より多くのエネルギーを発散できるのではないでしょうか。 「まじめで素直でおとなしい」こと自体は否定されるべきではありません。「コツコツと言われたことだけをしていたい」という若者もいるでしょう。それが心地良く、大した問題もなく自由に生きられるのならば、それでもいい。ただ、その場合も、前述したように自由に生きるには相応の力がいることは知らせるべきだし、そうした若者も、成長途上にあるという前提に立つ必要があると思います。なぜなら、今の自分のままではたどりつけない世界があることに気づいていないかもしれないから。だから少しだけ先回りして、「この先にはもっと豊かな世界があり、たくさんの出会いがあり、あなたの可能性も広がっているんだよ」と示すことも大切だと思います。私は教育者の基本は「信頼し、任せ、待って、支えること」だと考えていますが、同時に、ちょっとしたお節介者でなければならないとも思っています。少しだけ先を行く者や、何かの専門知をもつ人間には、そうした役回りがあると思うのです。 そもそも、「まじめで素直でおとなまじめで素直でおとなしくてもいい。しかし自由に生きるには力も必要とまの・いっとく●1980年生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。哲学者、教育学者。教育とは何か、それはどうあれば「よい」といいうるかという原理的テーマの探究を軸に、これからの教育のあり方を構想。公教育の本質は「自由の相互承認」の実質化にあるとし、具体的なあり方として「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」を提唱。熊本市教育委員も務める。近著に『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『別冊NHK100分de名著 読書の学校苫野一徳特別授業「社会契約論」』、『愛』(講談社現代新書)など。「いいからこうしなさい」から「あなたはどうしたいの?」へ252021 FEB. Vol.436

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