キャリアガイダンスVol.436
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なかにあるモデルから「脱線しないように」している気がします。一方で社会は、創造的であることも求めてきて、だから教員も「ときには踏み外す勇気を」と期待しはじめたのかな、と。ただ、生徒に「こうあるべき」というモデルを教えているのは、実は僕ら教員ではないか、とも思っていて、そこにすごく矛盾を感じるんですよ。吉岡 わかります。一人ひとりにはそれぞれの良さがあり、そこを見つけて伸ばしてあげたい。でも学校ではつい「型」にはめてしまう。我々の日々の指導、生徒への接し方が、問題の始まりなのかもしれません。田中 教員の立場からすると、失敗が怖いのもあるように思うんです。生徒が言うとおりにまじめにしていれば、目の前にいるあいだは大きな問題は起きませんから。でも卒業から先はわからない。なので本当は「枠」にはめずにいろいろ伸ばしてあげたいけれど、自分たちもそんな教育は受けていないので、恐る恐るになっていて。神谷 結局、教員もこれまで通りに指導したほうが楽ですしね。未来はどうなるかわからず、モデルも示しづらくなったけど、とりあえず今までの成功体験から「こうしなさい」と指導する。でも今は歴史の転換点かもしれず、そこで社会を変えるのは、古い体制で成功した大人ではなく、若者だと思うんです。世界ではその潮流が見られますが、日本では若い人がどちらかといえばおとなしい。それは、僕らや学校が生徒を縛ってきたからなのかな、とも思います。大城 地域の事情も少しお話ししていいですか。私のいる沖縄県は他県より平均学力が低く、大学進学率も高くありません。だから県民には「学校で子どもの学力を伸ばし、進学もさせてあげたい」との思いが人一倍強くあるんです。それだけに私たち教員も、生徒がまじめに学び、「点数や進学率を高める」ことに重きを置くところがどうしてもあります。ただ、その大人の願いが、生徒を一つの方向に促しがちな面はあるかもしれません。田中 これまでのAO入試や推薦入試だと、言われたことだけをまじめにやってきた生徒が苦戦していましたよね。そこで問われるのは意見を言う力や批判的思考力なので。でも、僕はそちらに振れすぎて「全員が意見をバンバン言えないとダメだ」となるのも違う気がするんです。アイデアを出す人がいれば、それを聞いて一緒に形づくる人もいるように、社会で必要とされる人のタイプは一種類じゃないはず。生徒それぞれの良さや成長に目を配りたいと今日改めて思いました。神谷先生がまじめで素直でおとなしい生徒を「見過ごしがち」と言われたとき、ドキッとしたんです。たしかに意識しないと、ほかの子より関わりが少なくなるな、と。大城 「おとなしい」の捉え方は私も注意したいと思っていて、こちらから生徒に近寄っていけば、結構話が広がりますよね。吉岡 うちの生徒のなかには、生活環境や過去の躓きから明日を生きるのに精一杯で、社会のことにまで目を向ける余裕がない子もいます。ただ、「自分と向き合おう」とはしているんですね。高校で初めて友達ができて自分を受け入れられるようになった、オープンスクールをみんなで運営して自信がついた、とか。「社会が求める人はこうだ」と生徒をその方向にもっていくというより、他者との関わりを通して、まずは自分としっかり向き合えるよう教職18年目、教科は公民。前任校ではなぎなた部の全国優勝の躍進に貢献、現任校でも同好会設立を思案中。名護高校(沖縄・県立)大城エリカ先生教職11年目、教科は数学。授業や面談では答えを示すより問いかけを重視。地元企業などとの連携も推進。鳥取城北高校(鳥取・私立)田中光一先生学校を、生徒を「型」にはめる場ではなく自分の弱さや可能性と向き合う場に (吉岡先生)「まじめで素直でおとなしい」生徒の可能性をどう拓く?教師はそんな生徒の成長にどう関わるか92021 FEB. Vol.436

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