が自分の体験や考えを場に出していく「探究的対話」に相当の時間を割いた。「創造的対話」に欠かせない関係性をつくるためには、ある程度時間をかけてもじっくりと場づくりをすることが肝心。その際、ファシリテーターは〝リード〞ではなく〝支援〞に徹し、参加者自身が話したいことを話して場をつくっていくという姿勢が強くうかがえた。 一方で、学校では自分たちがファシリテーターとして対話を実施することを想定して、難しさも感じていた先生たち。「教員同士の対話の場を、いかに安心・安全の場にできるか?」といった質問が出た。ファシリテーターたちはそれに対する明確な答えはないとしながらも、和泉さんはこう語った。 「対話は実は勇気がいるコミュニケーション。みんなでつくる場ですが、自分の想いを本音で語る最初の一人のふるまいと存在で場が動き出し、連鎖していきます。一度創造的対話を体験・実践できた人はまたできます。今日それを体験したことで、今後は皆さんが学校でも最初の一人になれるのではないでしょうか」 「高校で育むべき主体性」という答えがひとつではない問いに向かって対話に臨んでいった先生たち。 「踊る」というキーワードをきっかけに、「設定がある中での取組は、本当の主体性と言えるのか?」というモヤモヤから脱し、それに触発された新たな考え方を生み出したAグループ。先輩講話、キャリア・パスポート、振り返りなどの日々の学校活動と主体性との結びつきに気づき、今までの実践に対する新たな意味づけや、これからやりたいことへ展開していったBグループ。 2つのグループはまったく異なる対話の課程を辿ったが、共に今日ここに集っている参加者とファシリテーターでなければなし得なかった「創造的対話」を生み出したのだ。対話の内容やプロセスに正解はない。その場にいる全員で創っていけばよいのだ。それを参加者の先生方も体感していた。 ファシリテーターの2人は異なる個性をもち、声のかけ方も違っていたが、共通していたのは場の把握と介入のタイミングに注力していたことだ。特に前半は、AとBで介入のレベルは異なっていたものの、両グループとも先生方「創造的対話」の道程に正解はない。 対話を創っていくのは参加者一人ひとり。創造的対話を望む衝動をどう引き出していけるか社会通念から一旦解放されて自分の想いを外に出してほしいど、ファシリテーターにはさまざまな役割がありますが、最終的には、参加者にそのすべての役割を移していけることが理想です。 先生方に意識してもらいたかったのは「場は自分のふるまいでできていること」。Bグループは後半でそのことを再認識し、先生たちは創造的対話に流れ込んでいきました。創造的対話をしたいと思っている人にはその衝動があります。それをおもちの参加者の先生方なら、生徒さんのもつ衝動もきっと引き出せるのではないでしょうか。 ファシリテーターにも正解はなく、自身の個性や参加者の個性、場の状況は常に異なるため、その場に応じた支援や問いの発し方が必要になります。今回はチェックインでの先生方の状況を見て、渡邉も私も介入方法を考え、場の流れを見ながら介入度合いを変えていきました。 対話の進行者としても、発言のハードルを下げるために自らピエロ役になってみたり、自己開示したり、傾聴したり、ゆさぶりをかけたり、時にはアイデアを提供するなングする必要があります。そこで、和泉も私も「ご自身にとっての自分ごと化の体験は?」など、各先生がその言葉をどう捉えているかという問いを出しました。 また、Aグループでは「踊らされている」という想いを斉藤先生が発したとき、パターン化されていない新しいその言葉の意味づけをみんなで考え、創り出すことができるようになりました。こんなふうに、対話の際は、社会通念から一旦解放されて考えることを愉しんでほしいと思います。 今回に限らず学校関係者の方々に感じるのは、お立場上、規範に囚われがちということで、それが対話にも影響します。 このWSで「主体性とは何か」に対して、「自分ごと化」という言葉が図らずも両グループともに出てきたのは、日頃から使い慣れたパターン化された言葉だからです。それは危険で、みんなが納得しやすいからこそ、新しい概念は生まれにくいため、社会通念上では正解と思われていることをアンラーン(一旦捨てる)したり、リフレーミファシリテーター’s eye和泉さん渡邉さんまとめ全体振り返りを終えて162021 MAY Vol.437
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