キャリアガイダンスVol.440
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 近年、企業の組織や人材分野を中心に越境論・越境学習が注目されています。越境とは幅広い意味をもつ言葉ですが、ここでは、「人が集合体をまたいで異質な文化に触れたり、異なる状況同士が境界を越えて結びついたりしたとき、それまでのあり方が揺さぶられる過程。また、それによって何らかの創造が生じ、コミュニティ間の関係性が再構築されていく過程」としておきましょう。 例えば、所属や専門などの境界を越え、背景の異なる人々と対話を深めていくと、日頃、馴染んでいた集団内での振る舞いや価値観が、いかに狭い範囲のことであったか気づかされることがあります。それによって、これまでの当たり前から自らを解放し、一方の集団側にも他方の集団側にもこれまでなかった、新たな越境知(第三の知)が創造され、双方の新しい関係性が構築されていきます。 これは企業だけではなく、学校においても大切なことです。そもそも越境論は、学校教育と深く関わる心理学の「学習転移論」を出発点としています。学習転移とは、ある場面で学んだことを、類似の構造をした別の場面に適応すること。普通のことのように思えますが、意外にも人の学びは簡単には転移しないことが心理学実験で知られています。なぜなら、知識は常に文脈とセットであり、その学習がどういう文脈に埋め込まれていたかに影響を受けるものだから。つまり、日常と乖離した状態で、教科書の内容を学んでも実生活にはつながりにくいということ。「授業で学んだことなんて社会で役に立たない」という、よく聞くセリフも、心理学的には間違っていると言い切れないところがあるのです。 教室の内と外との重なりをいっそうつくるためには、「正しい知識を教わり頭の中に内面化すれば学習転移が起こるだろう」と考えてきた旧来の教授主義的発想から脱却し、教育現場の外にある具体的な状況や実際の生きたフィールドに目を向けることが大切です。例えば、ある現場や領域のことをよく知る外部の専門家や市民らと一緒に一つの授業をデザインするような共創的な場づくりを通じて、現実社会のより幅広い文脈に即した学びや、それまで馴染んだ教授学習方法の枠組みを超える新たな実践が生まれるかもしれません。それは、外部の協力者にとっても新しい発見や学びにつながります。単に生徒に知識の転移が発生するか否かということ以上の、多様な人びとの学びです。単一のコミュニティでの学習から、複数のコミュニティをまたいだ学習への見直しともいえます。 考えてみればこれは、学びが本来もつ喜びを取り戻す試みといえないでしょうか。学習とは、単に知識や技術を習得することでも、「こうあるべき」という型にはめることでもありません。そうした「教わり、学ぶ」という発想ではなく、多様な人々と共に考えをめぐらし、ほんの少しでも新しいことに挑戦し、固定観念を柔らかくほぐして、思いがけない未来を創造していく。こうしたことこそ「喜びとしての学び」だと考えます。 とはいえ越境は簡単なことではありません。むしろ困難で面倒な実践ともいえます。なぜなら、異なる文化とは、必ずしも今の自分にとって居心地のいい空間とはいえないから。それどころか通常は、違和感や葛藤、抵抗が生じるものです。仮に、相手の文化を受け容れることができ、新たな気づきや「第三の知」の萌芽があったとしても、放置したままということも少なくありません。いったい境界をまたぐとき、人の中ではどのようなことが起きているのでしょうか。その過学習転移モデルから脱却し、具体的な状況に目を向ける越境の過程において、人の中では何が起きているのか352021 DEC. Vol.440

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