キャリアガイダンスVol.440
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1974年に、昭和薬科大学の唯一の附属高校として開校。1986年に中学が開校し、一貫校となる。生徒数は中学633人、高校607人。東京大学3名、京都大学2名など、国立難関10大学35名合格(うち現役26名)。これらを含め国公立大学合格者数130名、省庁大学校/海外大学合格者8名、早慶MARCH 85名(2020年度実績)。昭和薬科大学附属高校・中学校(沖縄・私立)まとめ/石井栄子 撮影/仲本 潤 学生時代の教育実習で、これこそ天職だと天啓を受けて教職に。2つの県立高校で校長として学校改革を推進した後、県の教育行政職を経て2013年に教育長に就任しました。当時、沖縄県は全国学力テストで6年連続最下位。私は沖縄県の子どもたちの学力が低いはずはない、この状況を何としても脱却しようと決意し、上から号令するだけではだめだと、県内の多くの学校を訪問し校長と膝を突き合わせて話しました。校長にも私の本気が伝わったのでしょう。校長が変われば先生も変わり、先生が変われば子どもたちも変わる。翌年には24位に浮上という奇跡を成し遂げました。 これらの経験から、校長のリーダーシップの重要性を痛感しました。上意下達のリーダーシップではなく、現場を信じて任せること。本校の校長に就任してからも、その気持ちは変わりません。学校教育は現場主義が基本と信じ、教職員と十分に意見交換をすることを大切にしています。幸い本校の教員は皆、自ら学び自ら成長する力のある人たちです。先輩後輩が教え合い切磋琢磨する姿も本校の良き伝統です。それは生徒にも伝わり、自ら学ぶ良き循環ができていると感じます。 本校は、昭和薬科大学の唯一の附属校です。太平洋戦争後、沖縄の復興・発展に寄与する有為な人材を育成することを建学の精神とし、1974年に開校しました。毎年多くの国公立・私立難関大学合格者を輩出しています。医学部医学科に特化した学校であり、全国医学部医学科合格者数ランキングでは常に上位に位置しています。進学実績を大切にしながらも、本校では成績順のクラス編成はしていません。成績上位の子も下位の子も1つのクラスで切磋琢磨しながら学び合う文化を創りたいと考えているからです。その成果か、本校には明るく活き活きしている生徒が多く、昼食時や休み時間には生徒たちの笑い声があふれています。また勉強ばかりではなく、部活動も大変盛んです。 今後社会は、テクノロジーの進展により劇的な変化を遂げるでしょう。生徒たちは正解の見えない時代に、新しい発想で挑戦していかねばなりません。そのために本校では早くから、探究型の学びに取り組んでいます。また、コロナ禍においては、いち早くリモート授業を開始し、学校の安心安全と学びの保障の両立に取り組みました。未知の困難にも躊躇することなく一歩でも二歩でも前進する、そんな教員と生徒集団を創っていきたいと考えています。 校訓は「専一集注」「堅忍不抜」。前者は一心で雑念のない精神集中と、我慢強く心を動かさないこと。後者は自分の目標実現のために強靱な意志を持ち、主体的に学び行動できることです。そして、ただ勉強ができるだけではなく、他人に優しく社会に貢献できる。そのような生徒たちを育てる、品格あるリーディングスクールを目指しています。もろみざと・あきら/両親も教員。反発心から教員にはならないと決めていたが、親の願いで教職課程を学び、教育実習の1週間で人生が変わった。教員こそ天職と思い定め、1984年に初任校の沖縄県立水産高校に着任。県立名護商業高校の校長時代には工業高校との学校統合を、県立豊見城南高校の校長時代には学校改革を断行した。その後、県教育庁保健体育課課長を皮切りに、行政職を歴任し、県総合教育センター所長を経て県教育長に。全国学力テスト6年連続最下位からの脱却に全力で取り組み、翌年に24位、翌々年20位の快挙。2015年より現職。上意下達ではなく信じて任せる学校教育は現場主義が基本医学部医学科で突出した合格実績492021 DEC. Vol.440

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